昔話を否定できる人、なぜ桃太郎が桃から生まれるんだとか、そういう「なぜ?」っていう因果律だけで世界ができてると思ってる人は、ちゃんちゃらおかしい現代人ですよ。amzn.to/vGEGTy
自分の限界を知るのは大変で、大切だ。限界までいったことのない奴が、自分にはもっと可能性があったはずだと悔やんで、他人に依存するようになる。
『志だけ持ったヤツがそれに押し潰されて滅んでいくこともあれば、なんにも持ってないやつが、様々に打たれることで志が形成されて大きくなっていくってことだってある。』北方謙三
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スズメは、何種類の声を使い分けているか。数年前に研究していた、スズメのゴン太は、7種類を使い分けていた。
宴会たっぷりなんですね^ ^“@hirakawamaru: 三月半ばで一応放射線治療が終わるのだが、もはや快気祝いどんちゃん騒ぎのスケジュールが目いっぱいになりつつある。いいんだろうか。いいんです。”
『言葉として語り継がれる』ということは、『本来はそうではない』から『語り継がれる』ことが多いんですね。
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例えば、『男の子は元気に遊び、女の子はおしとやかに』。放っておいたら、『男の子はおとなしくて、女の子は元気に動きまわる』ってことなんですね。
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『男の子は男の子らしく。女の子は女の子らしく。』『らしく』って、男女差別の言葉では、本来ないんですよ。
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誰かの頭の中で『差別である』って言葉そのものを観なかったんでしょうね。
『草食男子』が差別言葉ですか?そうじゃないでしょ。『今』の男性の性質を現しただけでしょ。昔は『男の子らしく』って言ってた。同じですよ。
もともと放っておいたら、男の子はおとなしい。草食男子になるんです。だから、元気に動きまわれって言ったんです。
放っておいたら『そうなる』のをそうさせないようにしていくのが『教育』なんですから。今は『そのまま』でもやっていける社会なわけです。昔はそういう社会ではなかった。つまり『時代が変わった』。それだけのことであって、差別の言葉ではないんですよ。
どうやら、『言葉の理解』は、『文系と理系』とでは変わってくるんですね。もちろん男女でも変わってくる。だから、言葉って難しいんですよね。
『それを考えず』に言葉を使ったり、受け止めていくと、言葉による『共通理解』が難しくて、その説明にまた言葉を使っていかなくてはならなくなる。言葉がどんどん増えることになる。言葉が増えて、互いにわかりにくくなる。余計に理解できなくなる。
『言葉を扱う』ことというのは、ものすごく高度なことなんですね。簡単なことじゃない。ベラベラしゃべれば、いいってもんじゃない。『ある一定の覚悟』が必要なわけです。
『ある一定の覚悟』とは何か。言ったことに『責任が持てるか』ということですよね。持てないなら、首を突っ込んで、まともなことを言うもんじゃない。
『言葉は契約』ということを忘れてしまっているとしか思えません。でなきゃ、人様のことや、自分を蚊帳の外にして余計なことに首を突っ込んで、ベラベラしゃべれないはずですよ。言葉を扱う『人と世間』が、どうやらおかしくなっているんでしょうね。
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『一生懸命やる』とか『努力する』とか、そんなことを口にしていることが、『おかしいこと』なのに、どうやら気づいていないのね。
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そんなことは、『口にする言葉』じゃないんですよ。『他者が口にする言葉』なんですから。
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こういう面倒なことをやっていかなくてはならないんです。教育って面倒なことなんですね。
子育てしている親御さんは、何かと大変だと思いますが、子どもに言葉の扱い方を教育するのは家庭からです。
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こういう考えの根幹にあるのは『共同体』という捉え方によるものです。一番小さい共同体は家庭という『家族』です。