2011年3月11日に起きた未曾有の大災害・東日本大震災による津波で、市街地が壊滅した岩手県陸前高田市。三陸沖に面した県最南端の自然豊かな田舎町を襲った想像を絶する惨劇とは。自らも津波で妻を亡くした絶望的な状況の中、ゆるぎない信念をもって陣頭指揮にあたった戸羽太市長が、震災当日の様子から復興へのシナリオまで、被災地の全容を明らかにする。社会の関心が政局や原発等に流れる今、日本を復興するためには絶対に忘れてはならない、被災地の現実を真に理解できる一冊。
第1章 あの日、陸前高田市が消えた―ドキュメント3・11 地震、そして津波はいかにして襲ってきたのか?(床が落ちるほどの激しい揺れ
襲いくる大津波、決死の屋上避難 ほか)
第2章 被災地が直面した日々―悲しみを乗り越えて 3・11以後の困難な道のり(これが本当の被災地での日々
失われた市役所の機能とデータ ほか)
第3章 「ふるさと」は必ずよみがえる!―陸前高田発、ゼロから始める復興プラン(これから作る「新しい陸前高田」
これからは「減災」を考えていくべき ほか)
第4章 特別対談 佐藤正久×戸羽太―「被災地を救うリーダー論」(自衛隊も感銘を受けた戸羽市長のリーダーシップ
霞ヶ関や永田町と被災地の「埋められぬ距離」 ほか)
2011年3月11日に起きた未曾有の大災害・東日本大震災により、市街地が壊滅した岩手県陸前高田市。三陸沖に面した県最南端の自然豊かな田舎町を襲った惨劇とは。自身も妻を亡くした絶望的な状況の中、ゆるぎない信念を以て市民を導いた戸羽太市長が、震災当日の様子から復興へのシナリオまで、被災地の全容を明らかにする。社会の関心が政局と原発に流れる今、日本を復興するために絶対に忘れてはならない被災地の現実を真に理解できる一冊。佐藤正久議員との対談も収録!
なんとかガソリンが届いたのですが・・・
あおれを自衛隊の方が給油しようとした瞬間、
「このガソリンは他の省庁から出ているものだから、自衛隊が給油したらダメだ。運ぶところまでは認めるけど、自衛隊にノズルを触らせてはいけない!」
というお達しがあったのです。
それを給油できないなんてバカげた話です。
危険物取り扱い者の免許を所持している方を探して、わざわざ給油してもらいました。
国の対応というのは一事が万事、とにかく融通が利かないのです。
~~物見遊山で被災地を蹂躙する政治家たち~~
明らかに「点数稼ぎ」や「物見遊山」でやってくる人も少なくありません。
玄関に向かうと、そこにはとある国会議員がいました。
「なんでしょうか」
「市長、ここで写真を撮ろう」
その方は被害状況や復興の進捗などひとことも聞かず、市役所の看板が入るところで私とツーショットの写真を撮ると、そのまま、まっすぐ帰ってしまいました。
まさか私と撮った写真を使って「被災地に行ってきました」と支援者にアピールするためだけにやってきたのでしょうか?
もっと凄い方もいました。
私が被災地をご案内したのですが、今では廃墟状態になっている旧支庁舎に来ると
「ここで写真を撮りたい」と言い出し、次の瞬間、信じられないことにVサインをしながら写真に収まっているではありませんか!さらに「さあ、市長も一緒に!」とVサインを出したまま、私を手招きしましたが、さすがに丁重にお断りさせていただきました。
「結局、現場の状況がわからないうえに、こんな非常事態だというのに、すべてを『平時』の枠組みで対処しているから、やたらと時間がかかるし、法律などでがんじがらめになってしまう。今は平時じゃないんだから、省庁の壁をとっぱらって対応しないと、いつまでたっても復興はすすまないですよ」
管首相が「復興の予算は第三次補正で」と言ったときには、本当にあきれました。
第三次って下手したら10月の審議でしょ。
震災から半年も経って、何を考えているのかと」
管首相が言っていた「最小不幸社会」というのもおかしな言葉ですよね。
なんで不幸であることが前提にあるの?
政治家というのは、強い人も弱い人も困っている人も、全員を幸せにするために汗を流すのが仕事なのに。
結局、偉い人は「お前たちはどうせ不幸なんだろ?」と上から目線で国民を見下しているように感じる。これを機会に「政治とは何なのか?」ということを、いま一度、みんなで考えましょうよと言いたいです。
わざわざ陸前高田にもお越しいただいた。
でもですよ、被災地に一国の長がいらしてくれたら、被災者たちは「この現状を目のあたりにして、何か次の一手を考えてくれるんじゃないか」と期待するわけですよ。それが何もなかったというのは・・・。
いちばんいいのは「国が責任を持ちますから、皆さん安心してください」と言ってくれることですよ。首相が断言してくれれば、国も動かざるを得ないんだけど・・・あの人は絶対に言わないでしょ。それどころか言質をとられないように言葉を選んでいるような状況だから。
せめて「私は陸前高田に行ってきました。そこでこういうものを見ました。そして私は被災地のためにこういうことをしようと思いました」国会でもいいし、テレビカメラの前でもいいから言っていただきたかった。