行きつけだった居酒屋から、東京の四季おりおり、すこし人見知りな作家の日常まで。川上弘美ワールドを満喫しながら季語の奥深さを体感できる、俳句エッセイ集。全96篇を収録。『すてきにハンドメイド』連載を書籍化。
「永き日や欠伸(あくび)うつして別れ行く」 夏目漱石
あくびをうつされたその瞬間は、きっと時が止まっている。
まだ春浅い日差しのもとの、一瞬の永遠、です。
高浜虚子の『新歳時記』
虚子の2月の章をめくってゆくと、「蕗の薹(ふきのとう)」「水菜」の次に「海苔」があらわれます。新海苔の季節は、2月初春の、いちばん寒い頃。明治・大正の頃は、東京でも大森海岸のあたりで、さかんに海苔の養殖がなされていました。
「北窓開く」という春の季語は、冬のあいだ閉め切っていた北に向かう窓を、春が来たので開く、という意味。冬の季語には、この季語の対となる「北窓塞ぐ」がある。
踏み絵・・・絵踏(えぶみ)季語
「傾城(けいせい)の蹠(あなうら)白き絵踏かな」 芥川龍之介
「傾城」とは、もともと「城を傾けてしまうほどの美人」のこと。
同時に遊女もさす言葉。
「戸をあけて田螺(たにし)の国静かな」 村上鬼城
「トラックが婆拾い去る雪間かな」 上田五千石
「春の風邪あなどりあそぶ女かな」 三宅清三郎
「木がらしや目刺に残る海のいろ」 芥川龍之介
「あらうことか朝寝の妻を踏んづけぬ」
「木蓮はコンパスフラワーーといって、つぼみの先が必ず北を向くんです」
馬刀(まて)貝
春菊は、地中海原産だそうです。あの独特の匂いと苦味からして、東洋的な野菜だと思い込んでいたので、知ったときには驚きました。
「春菊や袋大きな見舞妻」 石田波郷
競馬(くらべうま)
「くらべ馬おくれし一騎あはれなり」 松岡子規
「テントウ虫一匹の重さとつりあうのはどれ?」
1:切手
2:つまようじ
3:一円玉
正解は切手
「好きな季語で」「黴(かび)」をあげるとは、また妙な好みで・・・と思われる方も、多いかもしれません。黴が好きな女って、どうなんでしょうと、自分でも思います。
ペニシリンは、青黴からつくられた抗生物質です。
入学して、最初におこなう実習が「解剖」でした。
いくら太いといっても、解剖するにはあまりに細く思えるミミズを、いったいどうやって、と思っていたのですが、これがあんがい、みっちりと内臓などもそなえた、立派な生物体でした。
木耳(きくらげ)
あの不思議な嚙みごこちがいいのかもしれません。
歳時記にも「いくぶん飴いろがかった、ぶよぶよした茸で、人の耳に似ているところからこの字をあてた。同時にぶよぶよしたところがくらげに似ているため、この呼び名がついた」とあります。
「半夏生」と書いて「はんげしょう」あるいは「はんげしょうず」と読みます。
七十二候でいうと、「夏至の末候」にあたる期間のことです。
そのころに生えるドクダミ科の植物のことも、「半夏生」というのです。
時期と、植物と、両方の意味をもつ季語なのです。
なにしろドクダミは、庭に生えはじめると、決して消えてくれない植物です。
むしってもむしっても、地下茎でつながっているドクダミは、いつまでも粘り強く生えでてくる。
「登山綱(ザイル)干す我を雷鳥おそれざる」 石橋辰之助
夏館(なつやかた)
家そのものが季語になるなんて!
漆搔(うるしかき)
すなわち塗り物などに使う漆を、漆の木から採集すること。
「雷が落ちてカレーの匂いかな」 山田耕司
夏の夕刻のむっとした雨上がりの空気と、カレーの匂い。
思いつきそうで、なかなか思いつけない取り合わせに、はっとします。
青鬼灯(あおほおずき)
7月の9日と10日、浅草寺には、鬼灯市が立ちます。お参りをすると功徳(くどく)があるといわれるこの日に参ったあと。人々は青い鬼灯を買い求めます。
わたしは芥川賞の候補の一人となり、受賞することができました。
わたしは記者会見のために有楽町の東京會舘へと急いだのでした。
記者会見は終わり、それで解散かと思っていたら、なんと受賞者は、慣例により選考委員の待つ「銀座のクラブ」へ行くことになっている、というのです。
想像していたような派手派手しい場所ではなく、センスのいいシンプルな装飾の、でも、座っている女性たちだけは、たいへんに美しく華やかな場所でした。
「荒海や佐渡に横たう天川(あまのがわ)」 芭蕉
秋の季語・意外ベストスリーと、わたしは呼んでいます。
すなわち、朝顔、枝豆、西瓜。
この3つ、正真正銘、秋の季語なんです。
「枝豆や三寸飛んで口に入る」 松岡子規
「生姜」という季語が秋だ、と知ったとき、少し意外な気がしました。
八百屋さんに新生姜が並ぶのは、初夏から8月にかけてだからです。
歳時記では「新生姜」と「生姜」は、それぞれ別の季節の季語として載っているのです。
「新生姜」は夏。
「牛部屋に蚊の声くらき残暑哉(かな)」 芭蕉
蚊の飛ぶ音が、「くらい」という表現が、絶妙です。
初案では、「牛部屋に蚊の声よはし秋の風」という句だったといいます。
耳に感じる「ぷーん」という羽音を、「くらい」という視覚に転じたことが、この句のしばらしさである、という解説を読んだことがあります。
「つくつくぼーしつくつくぼーしばかりなり」 子規
「瓢」と書いて「ふくべ」と読みます。
ひょたんのことです。
ほかに「ひさご」という言い方もあって「ひさご」「ふくべ」という名の居酒屋をときおり見かけます。瓢箪は古来、飲料、わけてもお酒を満たしておく容器として使われることが、多かったからでしょうか。
十五夜の前の夜は「待宵(まつよい)」と呼ばれます。
翌日の名月を心待ちにしているわけです。
そして、十五夜当日に煌々と月があかるく出たならば、その夜の月は「名月」。
もし雲に隠れて見えなければ「無月」、
雨が降って見えなければ「雨月」。
月が出なくても名前をつける執着の心に、びっくりします。
十五夜の翌日は、「十六夜」。
その翌日の月は、「立待月」、
さらに翌日は、「居待月」、「臥待月」、「更待(ふけまち)月」。
「名月や池をめぐりて夜もすがら」 芭蕉
「野沢菜の届きぬ炊けよ今年米」
「ぎゃーーーー」
びっしりと百匹以上いたはずの小鈴虫が、十数匹になっている。
よく見ると、片隅には小さな肢の残骸がどっさりと・・・。
あんな声で絶叫したのは、あの時が最初で最後です。
そろそろ成虫になりかけていた鈴虫たちは、たんぱく質が足りずに、せっせと共食いをはじめたのでした。
「鈴虫を飼ひて死にゆくことも見る」
「夜長」の派生季語が「夜長妻」なのです。
意味は、「秋の夜長を感じている妻」といったところでしょうか。
昭和だろうが大正だろうが、妻たちはそんなに一筋縄ではいかなかったように思います。
人間の心の中は、その人自身にもわからないくらい、奥深くて計り知れないもの。
秋の夜長の妻たちの物思いのなかにあるのは、鬼か蛇か、それとも天上の光景か。
「夜長妻栗色の靴買へと言ふ」
「藁の栓してみちのくの濁酒」 山口青邨(せいそん)
俳句をつくるようになり、「秋の空」が季語だとはじめて知りました。
そもそも「女心と秋の空」という言葉は、「男心と秋の空」という言葉が転じたものとか。
「女心」と使うときには全人格的な「気まぐれ」という言葉が連想され、「男心」と使うときには恋愛方面に特化した「心がわり」という言葉が連想されるのは、なんだかちょっと不思議です。
荒井由美さんだった頃の曲、「曇り空」が好きで、ことにその中にある
「きょうは曇り空・きっとそのせいかしら・外に出たくなかったの」という歌詞。
約束していたのに行かなかったのは、くもりぞらだったから。
そんな気まぐれな内容の歌詞には「女心と秋の空」という言葉が似合うなあと、いつも感じていました。
蟷螂(かまきり)
カマキリたちはときどき、哲学的な顔つきで歩いてゆきます。
江戸の食べ物は、現代とさほど差がないのですが、平安時代で驚いたのは、食物にする動物性たんぱく質として「小鳥」というものがときどき出てくることでした。
きのこ狩
毒キノコの2種類
「1週間ほど七転八倒したすえ、けろりとなおる」
「1週間ほど七転八倒したすえ、たいがいは死ぬ」
神の留守
現代の11月は、旧暦でいうと10月、月の名は、神無月です。
日本全国の神様たちがこの月、出雲に旅をなさるので、各地の神社は留守になる、というわけです。
煮大根や烏賊の諸足(もろあし)そり反り」 松根東洋城
切干
初冬の頃の季語には、大根関係の季語が、とても多いのです。
「大根引」
「大根洗う」
「大根干す」
「懸大根」
「たくわん」
ともかく日本の初冬は、大根を収穫し、洗い、干し、漬物にする、という作業がたいそう大事な季節なのだ、ということがわかります。
「死にし骨は海に捨つべし沢庵噛む」
銀杏落葉(いちょうおちば)
イチョウの仲間は、一度氷河期にほとんどが絶滅sており、ただ一種残ったのが、今のイチョウなのです。イチョウには、雌の木と雄の木があります。ギンナンをつくってくれるのは、雌の木。珍しいのは、ここからです。なんと、イチョウの雄の木の花粉は、やがて精子をつくり、雌の木の卵子と結合する。その後ようやく、ギンナンができはじめるのです。
「でも、どうやって精子は雄の木から雌の木まで移動していくんですか?」
実際にはイチョウの精子は、雄の木の花粉が空気中を飛んで雌の木で受粉し、受粉後そこではじめて精子になるのだとか。
炬燵
「温まるだけじゃなくて、炬燵には炬燵の空間があるんです。あの一種、やる気をすべて削ぐ空間。ぐだぐだになっちゃう炬燵の空間が、ものすごく恋しいです」
「炬燵出ずもてなす心ありながら」 高浜虚子
わかる・・・。一度入ったら、二度と出られない炬燵。
たとえお客が来たとしても。炬燵は魔と快楽の暖房具。
「おでん食ふよ轟くガード頭の上に」
ガード下のおでんも最高です。
そして、おでんを食べながら深刻な話はしづらいもの。
春隣(はるとなり)
去年今年(こぞことし)
「去年今年貫く棒の如きもの」 高浜虚子
歌留多(かるた)
「歌留多読む息づき若き兄の妻」 上村占魚
初鴉(はつがらす)
「初がらす鳴くよあしたの雪はれて」 室積徂春
「あした」というのは、「朝」のことです。
朝に降っていた雪がもう晴れて、鴉が鳴いている。
のんびりした、いいお正月です。
古来、元旦の鴉は、神鴉といって喜ばれたそうです。
七草
さっぱりとしたおかゆの中にあるのは、緑色のむずみずしい若草。
お正月は楽しいけれど、楽しさもきわまると一種の苦しさに転じる、そこにようやく日常が戻ってきた、やれやれ、という感覚と共にわたしたちは七草がゆを食べたのです。
「せり・なずな 以下省略の粥を吹く」池田政子