船乗りの墓にはバラは供えられず
大洋の波をただようユリもない
唯一の供物はカモメのすすり泣き
そして恋人の流す涙のしずく
新しいレーダー探知装置「ビスケー湾の十字架」は空を見つめる強力な目となった。
レーダー係りが蝕接を伝えた。
装置は、ビーッという音を発して警報を出した。
艦は20秒後には潜航した。
30秒で深度計の針は40mをさしていたが、艦尾はまだ海面近くにあった。
腰に結んだ鋼鉄のベルトだけがわれわれを艦と生命に結びつけていた。
艦内の水兵たちは、魚雷を手押車にのせ、からの発射管に送り込むという一番骨の折れる仕事にかかっていた。
われわれは海面下265mの地点に、どうしようもなくじっとしていた。
神経が震え、寒さと緊張と恐怖で身体がこわばった。
艦内に水と油と小便がたまった。
洗面所は堅く錠がかけられていたのである。
そこを使うことは、たちどころに死が訪れることを意味した。
外からのものすごい圧力が、予想される小水の流れを突破口にして、そこから逆に加わってくるはずだったからである。用を足すための鍵がまわされた。
前線にいるUボート隊員の寿命は、ざっと6、7ヶ月にすぎず、決してそれ以上ではなかったのだ。
われわれの艦は大幅に改良が加えられることになっていた。
U-230には、2連装の対空機関砲2基と4連装の対空機関砲1基が装備されることになっていたが、それはかねてから待たれていた措置だった。これらの8門の火力があればどんなパイロットでも、急降下して爆弾を落とそうとする前に、間違いなく二の足を踏むはずだった。
司令部は、結局、Uボートに医者を配置するという計画を取りやめにした。
潜水艦に乗った医者は。そのほとんどが艦とともに空しく生命を落としていたし、彼らの医療技術はほかの面でなんとしても必要だったのである。
「Uボート戦に革命をもたらす新型魚雷2種類を、これから公開します。
まず、強力な音響魚雷、対駆逐艦用のT5型、LUT魚雷です」
対護衛艦用の魚雷は、目標艦のスクリュー音、もしくは停止中の艦ならその予備エンジンの方向へと導く自動誘導装置を備えていた。
LUT魚雷は遠距離で発射できないという隘路を克服するための設計が施されていた。
船団から遠く離れたところで発射しても、あらかじめ設定しておいた深度で、こちらの思うままの弧を描きながら、船団のわずかな航跡をたどって目標を追ってゆくよう制御できるのだった。
これは、1943年秋におけるUボートの、生と死の平均だった。
7隻のうち1隻だけしか哨戒から生還しなかったのである。
戦艦、巡洋艦等の大型艦の副艦長のことを副長と呼ぶが、駆逐艦、潜水艦等の小型艦では先任将校と呼ぶ。
サンダーランド機
英国空軍が、哨戒、爆撃、救難などの任務を想定して製作した4発大型飛行艇。大戦ではその航続力と武装の強力なことから大きな活躍をした。
全長26m、最大速力336キロ、最大航続距離4,640キロ、7.7ミリ機銃7門
リベレーター機
B24リベレーター。米国爆撃機の中で、最も多数生産された爆撃機。
1939年に初飛行し、主に太平洋戦線で働いた。1941年に英国向けの生産が始まり、対潜哨戒などに使われた。全長20.5m、最大速度467キロ、航続力5,960キロ、兵装12.7ミリ機銃10門、爆弾4トン。
カタリナ機
米海軍の双発飛行艇。米海軍で最も多数生産された飛行艇で、英海軍でも多数使用され、対潜哨戒、偵察、人員共助など、広範囲に活躍した。また、爆弾や魚雷を搭載することが出来るために、偵察攻撃機としても大きな戦果をあげた。全長19.5m、最大速力287キロ、航続力2935キロ、兵装7.7ミリ機銃4、爆弾2トン、あるいは魚雷2本