吉本ばななの原作だと言う『アルゼンチンババア』
原作は知らなかったけれど、予告で奈良美智のイラストと
鈴木京香のババアぶりに期待させられてしまった。
母の死に際、その事実に向き合えない父(役所広司)が蒸発。
一人残された高校生みつこ(堀北真希)。
この情けない父親とみつことの壊れかかった関係を修復させたのが
町はずれの変人アルゼンチンババアことユリ(鈴木京香)
ほんわかするとってもいい話
の、はずなのだが・・・
素直じゃない私は中途半端に現実味が無くて
ストレートに心に響いたとは言えない。
アルゼンチンババアのキャラ設定は良しとして
なぜあの家が臭いと言う設定が必要なのか?
臭いとけれど、映像的には自然豊かな
どこかヨーロッパの田舎の庭っぽくて
自然の香りがしてそうな感じだったのに・・・
原作を読んでいないので何とも言えないが
もしかしたら映像化せず、
自分でイメージを膨らませた方が
感動できる作品なのかもしれない。
それでも本筋とは関係ない所で一人感動してしまった
冒頭、大人数分のお寿司を抱えながら
疲れきったみつこが飛び込んだ治療院での事。
マッサージ師(ココリコの田中)が言ったセリフ。
「お母さんの誕生日ですか?
それはあなたの誕生日でもありますね。
なぜならお母さんが生まれてきたから
あなたがこの世にいるんですからね」
このセリフにぐっと来てしまった

家族仲がいい家庭では、
ごく自然にお互いの誕生日を祝う気持ちも生まれるだろうけれど
我が家では昔から誕生日を祝う習慣の無いない家庭。
恥ずかしいけれど、
そのせいで両親の誕生日を祝う気持ちがほとんど無かった。
そんな私に目からウロコのセリフです。
親が生まれてきてくれたから私が存在する。
親の誕生日ってまさに自分の誕生日でもある
本当はとても喜ばしい日なんだと。
すごく大切な事を教えてもらった気がする
それからお墓について。
どうせならこの映画のように
自分が好きな場所に眠りたいと思ってしまった。
墓石もこの映画のように
オブジェのような物ならもっと親しみが持てていいのに。
いつか時代が変わってお墓にの常識が
もっと自由になるといいな
原作は知らなかったけれど、予告で奈良美智のイラストと
鈴木京香のババアぶりに期待させられてしまった。
母の死に際、その事実に向き合えない父(役所広司)が蒸発。
一人残された高校生みつこ(堀北真希)。
この情けない父親とみつことの壊れかかった関係を修復させたのが
町はずれの変人アルゼンチンババアことユリ(鈴木京香)
ほんわかするとってもいい話

の、はずなのだが・・・
素直じゃない私は中途半端に現実味が無くて
ストレートに心に響いたとは言えない。
アルゼンチンババアのキャラ設定は良しとして
なぜあの家が臭いと言う設定が必要なのか?
臭いとけれど、映像的には自然豊かな
どこかヨーロッパの田舎の庭っぽくて
自然の香りがしてそうな感じだったのに・・・
原作を読んでいないので何とも言えないが
もしかしたら映像化せず、
自分でイメージを膨らませた方が
感動できる作品なのかもしれない。
それでも本筋とは関係ない所で一人感動してしまった

冒頭、大人数分のお寿司を抱えながら
疲れきったみつこが飛び込んだ治療院での事。
マッサージ師(ココリコの田中)が言ったセリフ。
「お母さんの誕生日ですか?
それはあなたの誕生日でもありますね。
なぜならお母さんが生まれてきたから
あなたがこの世にいるんですからね」
このセリフにぐっと来てしまった


家族仲がいい家庭では、
ごく自然にお互いの誕生日を祝う気持ちも生まれるだろうけれど
我が家では昔から誕生日を祝う習慣の無いない家庭。
恥ずかしいけれど、
そのせいで両親の誕生日を祝う気持ちがほとんど無かった。
そんな私に目からウロコのセリフです。
親が生まれてきてくれたから私が存在する。
親の誕生日ってまさに自分の誕生日でもある
本当はとても喜ばしい日なんだと。
すごく大切な事を教えてもらった気がする

それからお墓について。
どうせならこの映画のように
自分が好きな場所に眠りたいと思ってしまった。
墓石もこの映画のように
オブジェのような物ならもっと親しみが持てていいのに。
いつか時代が変わってお墓にの常識が
もっと自由になるといいな
