写真は、
反貧困・世直し集会2009のものです。
後ろ姿のこの腕は、この日の集会主催者のひとり、宇都宮健二弁護士のあたたかな腕です。
派遣村は無くなりませんでした。
去年末にできた派遣村は、公設です。
そこにきた人には、住まいと働く場所の確保をするため、都や区はもちろんですが、
そこを支え続けてきた労働組合、法律家、ボランティアの方々がいました。
そして、派遣村に来た人たちが各区にわりふられた今もなお、
まだ住まいも仕事先も決まらない人々を、支え続けている人たちがいます。
期日できります。そんなことはできない。
今苦しんでいる人がいれば、その人を助ける、当たり前のことをしている人たちの活動は、深夜にまで及んでいます。
私のところにも、様々な理由で公式ルートにのらなかった方の支援要請が、
公設派遣村を支えてきた人たちから入りました。
派遣村から
交通費がないから、自転車で高田馬場の日雇いの場所まで出かけていた人は、
大家さんのご好意で、元のアパートで暮らしながら、近くの仕事を探しています。
大学法学部を卒業し、自分で貯めたお金でマンションを購入するほどのお給料をもらっていたものの、
その後行く先々の会社が倒産し、とうとう今年1月4日派遣村最後の日に、派遣村を訪ねた男性は、まだ40代でした。
野宿はしたくないと、最後のパソコンを質に入れたという話を聞きながら、私は一緒に泣いてしまいました。
しかし、彼は今、彼の能力を生かすことのできる仕事に就き、安いアパートで、生活を立て直し始めています。
明日お話しする人は、まだ30代。2歳のときから親と離れ、施設で暮らしてきたそうです。
中学を卒業したのちに、飯場を点々としながら働いてきたけれど、
知的障害があり、守ってくれる人のいない彼は、どこでもだまされ、人として扱われずにきたそうです。
派遣村からだけではありません。
お子さん5人を育てながら、働き続けてきたお母さん。しかし、商売の邪魔をされ急激に収入が落ち込み、
アパート大が滞り、とうとう立ち退きの通告が出されてしまいました。
ご自分でなんとかしようといろいろと相談に行ったけれど、どうにもならず、
知り合いから行ってご覧と言われた私たちのところへ、飛び込んでこられたのです。
お店を始めて1年。お得意さんもできてきたけれど、まだどうしても、売り上げが上がらず困り果てているオーナー。
・・・年末、年始だけでも、まだまだ貧困のご相談は続きました。
貧困の波は大きく押し寄せています。
がんばって働こう、がんばって生きていこうとしているのに、
それでもだめなときがある。
それを、その人個人の責任になど、ぜったいにできません。
お話を聞いているから、私は、個人だけの責任であるなんて、ぜったいに思えないのです。
今できること、それは、働く人を守ることのできる法律に改正すること。
そして、それとともに、目の前の人たちが、希望を失わないように、希望を見いだせるように、
それぞれの生活ができるように、今ある制度を活用しながら、援助をしていくこと。
何度一緒に泣いてしまったでしょう。
これからも、ずっと続くだろうと思います。
一人でも多くの人が、安堵し、笑顔で暮らせるように、
がんばらないとならない。
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気にかけてくれて、ありがとう。
実は、私、咳が止まらなくて、しゃべるのが大変なの・・・
鎌倉なんて、いいですね。
私は、ずっと行ってないよ。
明日は飛行機ですか?
ぜひ今度来るときは、来る前に
連絡してね。
お仕事、がんばってね。
今回は日程が短くて明日帰らなければならないけど、近いうち会いたいね。