福島第1号原発で避難指示の出ている、福島県双葉郡浪江町から、
郡山の息子さんのところへ避難し、その後、お母さんの住む埼玉まで、
家族と一緒であること以外は、何も持つことができずに逃げてきた友人が、
持ってきたのは、「被曝スクーリーングを実施しました」と書かれた紙でした。
郡山市保健所長の印鑑のある紙は、普通のコピー用紙を切っただけのものだといいます。
県外へ避難できる人が一刻も早く出られるように、大急ぎで、市役所が作ったのだと思われます。
彼女は、一日でも動くのが遅かったら、爆発と高濃度の放射能の中に巻き込まれていました。
動けなかった人たちのことを思うと、胸が締めつけられます。
私の大事な友人が、生きていたことの喜びを私は感じることができます。
でも、その喜びを感じることのできない人たちがいるという、この現実。
原発については、政府は、正確な情報を包み隠さず出すべきです。
そして、誰もが放射能の恐怖に怯えなくてよいように、
考えられるなるべく広範囲を、避難の対象にもすべきではないでしょうか。
それは、決して、恐怖をあおることではないと思います。
考えられる最善の策をとるということが、大事なことなのだと感じます。
ナターシャ・グジーさんの言葉が思い出されます。
8才のときのチェルノブイリ原発事故のときのことです。
「事故のことは誰も知らず、次の日も普通にみんなが暮らしていました。
事故のことを伝えられたのは、翌日。でも、そのときは、
すぐに帰ってくるので、物は何も持たないでくださいと言われ、
何も持たずに避難所へ行きました。
ところが、それから、1週間経っても、1ヶ月経っても、10年経っても
家に戻ることはできませんでした。・・・」
「チェルノブイリ子ども基金」の声明文(転送させていただきます)には、
『福島原発50キロ圏までの避難範囲拡大と浜岡原発の即時停止を求めます」と題して、
「最悪の場合でも、チェルノブイリ事故ほどにはならない」との報道もあります。もち
ろん、私たちもチェルノブイリのような事態にならないことを強く願っています。しかし
万が一の事態が起きてからでは遅いのです。
と書かれています。
多くの学者の知恵を集めてほしいと、切望します。
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