沖縄の元サブスリー中年男が再メタボでサブ3.5を目指す日々

メタボ解消から始めたランニング。2013年NAHAマラソンでサブ3達成!2023年再メタボでサブ3.5を目指しています。

努力と才能の境界線

2016年11月02日 | ランニング雑記

ちょっと心に余裕ができたので今日は、雑記です。

多分世の中で一番みられているだろう、yahooニュースの個人版である記事を見つけて、「あはぁ~」っと納得したので、ちょっと紹介。

 

23歳以下の職業人が、己の技術を競う技能五輪という聞きなれない大会があります。実は再来年沖縄で開催されるのですが、その技能五輪に絡んで、こういう記事が投稿されていました。

 

技能五輪選手に見る才能と努力の境界の曖昧さ

 

記事を引用すると・・・・~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

才能か努力かは「才能は無関係ではないが、能力は努力によって創られる」

なぜならば、天才や一流と呼ばれる人の共通点として、

①訓練を始める前はごく普通の幼少期を過ごしていること(教育心理学者のベンジャミン・ブルーム)、

②そうした人たちが平均的な人と比べて膨大な時間を、強度の高い練習に注いでいること(熟達化研究の第一人者、アンダース・エリクソン)

③天才と呼ばれる人たち自身が、自分が成し遂げたことは努力の結果だと言っていること(文末の参考文献1ではNBAで天才シューターと呼ばれたレイ・アレンの例が引用されている)

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①~③見ると、結局生まれながらに天才なんて世の中にほとんどいない感じがします。素晴らしい達人と私を比べて、ものすごく申し訳ないのですが、これを私がサブ3を達成した時の気持ちに置き換えると・・・

①小さいころ特に持久走が速かったわけではない。逆に嫌いだった。

②周りにいるマラソン好きのサブ5、サブ4クラスの人よりは、距離も踏んでいるし、強度も髙い練習をこなしているし、練習に使う時間も多く注いでいた自信があります。

③サブ3を出した時に思ったのは「努力は報われた」です。

特に、マラソンって努力が直結する、マグレがない競技ですよね。なので、特に真面目な人がはまりやすいスポーツってのも(私はマジメではないですが(笑))納得です。

だから、マラソンのタイムってこれって、才能とかじゃなく、結局いかに努力したかなんです。なので、ゴール前で競って私より1秒速くゴールした人は私より1秒分を多く練習したと思うようにしています。

 

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伸びにくい選手:何を意図した訓練なのかを理解せずに漫然と訓練をしている。

伸びやすい選手:何が速さにつながるかを把握して訓練をしている。

 

フォーカスの違いのイメージ

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まぁ~これもよくマラソン練習でいわれています。練習中にただ漫然と練習をするのと、何の効果を狙った練習なのかを把握して練習すること。

さらにそれ以上に求められるのは、「そのために必要な動線、腕の軌道、指の動き、道具の使い方、その時考えること、考えないことなどを定義していきます。」ということです。すなわち、身体の動かし方一つ一つを定義していき、徹底的に無駄を省くという意識。

マラソンでいうところの、腕ふりとか、足のはこびとか、呼吸の仕方とかでしょうね。これを速くするためにはどういう軌道で、どういう着地で、意識すべきこと、意識しないとこなども考えながら練習する。私はここまで意識したことなかったな~。


 

最後に強度の問題。ここが一番私にとってしっくりきた記事です。多分図だけ見ればわかると思いますが・・・。

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①強度の低い練習は、失敗もしないけど上達もしない。

②できていることの少しだけ上の練習は、失敗のリスクは高まるが、上達するための情報がたくさん得られる。

③とても髙い強度の練習は、失敗のリスクも高まるが、上達の情報は少ない。


練習の強度のイメージ

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もう、これを読んだとき、「ですよね~~~~」と心のなかで連呼していました(笑)

 

これをマラソン練習に当てはめると、

①ジョグばっかりの練習だと、失敗はしないけど、練習効果は低い。

②ちょっとだけ高い設定タイムでポイント練習を入れると、失敗するかもしれないが、練習効果は高い。

③無理な設定タイムでポイント練習を入れると、失敗するかもしれないし、練習効果も低い。

ということになるんだと思います。

しかも③はこんなパターンになりがちだそうです「大会前に焦りからこのままではだめだ、とさらに強度の高い練習を入れて燃え尽きてしまい、大会では力を発揮できない」・・・・・って過去の私!?もろ③パターンやん(大爆)

 

そして、最後に一番納得した文章を引用します。

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努力によって「人生が変わった」と表現する選手がいるのも事実です。努力を重ねていくと、「才能がある人しかたどり着けないと思っていた」レベルに能力が達することがあるからです。そこに達した人を他の人が見ると、その能力を才能と表現するのかもしれません。しかし本人は、才能ではなく努力の積み重ねとわかっています。そういう意味で、才能と努力の境界線は曖昧で、これは努力の結果、これは才能と一概に言いにくいものです。そういう意味で、才能と努力の境界線は常に揺らいでいます。

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「走った距離は裏切らない」世の中理不尽なことが多いからこそ、我々中堅ガッツリ社会人はこういったスポーツで「努力が報われる」と楽しくなってはまるんですよね。

 

結局は生まれながらの天才なんていないということです。一流の誰かが言っていました、「私のことを天才というなら、こう言ってくれ「努力の天才」だと」

 

引用:yahooニュース http://bylines.news.yahoo.co.jp/hadanotakeshi/20161014-00063188/

羽田野健  | 臨床心理士、就労支援相談員、インストラクショナル・デザイナー

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