新◻️268の1『岡山の今昔』岡山人(20~21世紀、高塚省吾)

2020-11-10 21:16:37 | Weblog
268の1『岡山の今昔』岡山人(20~21世紀、高塚省吾)

 振り返れば、高塚省吾(たかつかせいご、1930~2007)は、洋画家。岡山市の生まれ。東京芸術大学に入る。梅原龍三郎や林武にも教えを受ける。1953年に卒業する。新東宝撮影所美術課にはいる。その勤務のかたわら「8人の会」を結成する。そして、個展を開く。

 1955年(昭和30年)からは、映画美術やバレエの舞台美術、衣装のデザイン、台本の他、挿絵などの仕事。その頃の作では、「6つの意志」が有名だ。

 とはいえ、1970年(昭和45年始)頃までは、大概、裏方として働く。1970年代としては、春陽堂版江戸川乱歩全集の表紙絵を担当する。あれこれの生活上の苦心で、孤高をしのいだとのと思われよう。

 やがての 1976年(昭和51年賀状)には、「海」、その後の「薔薇」や「白と黒」などの作品を発表する。その頃には、風景も肉体も写実的な表現に移行していたという。新しい表現を獲得したらしい。

 1980年(昭和55年)には、「高塚省吾素描集、おんな」を出版する、それには、リアルで繊細な裸婦が数多く並んでいる。例を挙げれば、「白昼夢」「ガウンを羽織る女」「月の光」などを観賞ありたい。

 それらは、生々しいリアリティーに満ちているにもかかわらず、「しどけなさ」やありきたりの「エロス」とも違う、女性の美に体現された、何か「崇高なもの」さえ感じさせる。ちなみに、本人の弁には、こう記される。

 「りんごを描くのと同じだよ」と答えていますが、正直に言いますと同じではありません。生身の女性の裸はやはりエロチックです。でもそれを意識の下に押し隠しながらりんごのように対処している矛盾が、描く方にも見る方にも面白いのだと思います。」(高塚省吾「絵の話」芸術新潮社、1996)
 このようにして、彼の描いた裸婦は、以来、カレンダーやポストカードともなり、世の中に広く親しまれていく。そういえば、大衆雑誌でも度々あったようなのだ。
 変わったところでは、1979年(昭和54年)に曹洞宗で受戒したという。これは実に大したもので、なかなかにできることではあるまい。道元禅の修行には、命の「覚悟」が要るように、聞いたことがあるからだ(たとえば、ビデオ「永平寺」)。

 それからも「まぶしい季節」(1996)など、そのひたすらな画業は、晩年まで衰えなかった。

(続く)

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