↑ 厳かな気分になる、まるで宗教画のような写真ですねー。
こんにちは!
ハル文庫の高橋です。
今日は手元にある雑誌から
釈迦とキリストの二大聖人の教えについてお話します。
臨済宗円覚寺館長の横田南嶺師と
聖心女子大学で教鞭を取られていた、文学博士でシスターでいらっしゃる
鈴木秀子シスターの対談を読んだばかりなので。
(出典は『月刊致知』「対談 釈迦とキリスト」より)
釈迦とキリストの教えについて、こういうふうに端的に語ることができるのは
お二人ならでは……と思いました。
そこで釈迦とキリストの教えについて書いてある部分を
抜き出して、記録しておきます。
こうしておくと、いつでも見返せて忘れないし
それに、何か少しでもお役に立てれば…
とか思ったり。
釈迦の教え←横田南嶺師による
★すべては移り変わり、もろく儚(はかな)い中に、お互いは支え合い、
思い合って生かされている。
自分の命は自分一人のものではない。
そのことに目覚めたならば、この命を皆のために尽くそうと願い行動する。
それこそが己なき者にやすらいありということである。
★実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、
ついに怨みの息むことがない。
怨みを捨ててこそ息む。
これは永遠の真理である。(『法句経』4、5番)
怨みの連鎖を止めるのは慈しみしかありません。
★人の思惟(おもい)は何処(いずこ)へも行くことができる。
されど何処へ行こうとも、人は己れよりも愛しきものを
見いだすことを得ない。
それと同じように、すべて他の人々にも自己はこのうえもなく愛しい。
されば、おのれの愛しいことを知るものは、他のものを害してはならぬ。
★人が生まれたときには、実に口の中に斧(おの)が生じている。
愚かな者は、悪口を言って、その斧によって自分を切り裂くのである。
自分を苦しめず、また他人を害しないことばのみを語れ。
これこそ実に善く説かれたことばなのである。
(原始経典『スッタニパータ』)
悪口は相手を傷つける前に自分自身の尊厳を傷つけるんですね。
人間関係の苦しみはいつの時代も変わることはありません。
人間世界でたとえ否定され惨めな立場にあったとしても、
自分を支えてくれる大いなる力の中で生かされていることに
気づくことができれば、
さらに頑張ろうという気持ちも起こってくるのではないでしょうか。
よく人生の光と闇と申しますが、
闇だけということは絶対にないと思うんです。
キリストの教え←鈴木シスターによる
★あなたたちは一人ひとり神様から創られ、愛された大切な存在である。
だからお互い同士を虐げたり差別したりすることから
解放されなくてはいけない。
一人の人間として真に自由に生き、皆をも大切にすることが大切である。
★人間にとっての苦しみとは決して無駄なものではなく、
苦しみのあるところには必ずそれを乗り越える神様の愛と恵みが与えられている。
★人間一人ひとりが神様から創られた大切な存在で、
弱さももちろん持っているけれども、
その弱さを徹底的に知り抜いている神様は、
それでもよしとして私たちを大切にしてくださっている。
★互いに愛し合いなさい。
私があなたたちを愛したように、あなたたちも互いに愛し合いなさい。
★たとえ放蕩息子であったとしても、息子が帰ってきたことが
親にとってどれだけ大きな喜びであるか…
神様やイエス様の愛とは、その父親のような無条件の愛なんですね。
キリスト教の根源にあるのは「愛」という一字に尽きるのではないでしようか。
★自分の闇の深さを知れば知るほど、
そんな自分をも許して生かしてくださる神様の愛の大きさも分かる。
だから人生、絶望する必要はないんです。
ということでしたよ。
どちらも「愛」「慈しみ」「自己肯定」の教えだと思いました。
(対談を読む限りでは…)
なんだか、頑張ろうという気持ちになりましたが、
いかがでしたか?
それでは、今日も素敵な1日を!!