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本屋大賞をとった上橋菜穂子の『鹿の王』
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ハル文庫でコーヒーを飲んでいると、新しく運営に携わるようになった
ベテラン司書の高橋さんに声をかけられた。
「上橋菜穂子の『鹿の王』が本屋大賞に選ばれましたね」
「書店員さんたちは、よくぞ選んでくれましたよ」と、僕はいかにも嬉しげに言う。
「上橋菜穂子の本はもっと読まれていいと思ってたんです。
児童向けのファンタジーとして捉えられがちだから。
本屋大賞をとったからには、大人も夢中になる作家になるんじゃないかな。
アニメの宮崎駿に大人が飛びついたように」
僕はしたり顔でうなづいた。
『鹿の王』は、昨年、国際アンデルセン賞を受賞した上橋菜穂子の受賞後第一作にあたる。
物語を書き終えるのに3年の月日を費やしたそうだから、なかなかの力作である。
途中やめようと思ったこともあったとか。
題材が難解なだけに、物語の落としどころが、むずかしかったのではないだろうか。
最初のヒットシリーズ1作目の『精霊の守り人』は3週間で書き上げたそうだから、
いかに大変な課題に挑んだかということだ。
黒狼と山犬の血が混じった「半仔」である「キンマの犬」に噛まれたものは、
恐ろしい病に侵され、ほとんどが死に至る。
岩塩鉱で奴隷として働かされていたヴァンは、
他の奴隷ともどもこのキンマの犬の群れに襲われ、噛まれてしまう。
しかし、かまどの中にかくまわれていた幼い女の子ユナとともに、ただ2人、生き延びる。
それが冒頭のシーン。
いきなり、生きるか死ぬかのシーンで、いやがおうにも、物語に引き込まれるのだ。
人の体の成り立ちと病い。肉体と魂。生と死。
それを異世界の活劇と絡めて物語にし、読ませてしまうのだから、すごい才能というほかはない。
シェイクスピアと同時代にイギリスに生まれ、
シェイクスピアの芝居を観る恩恵に浴した人々と同じくらい、
同時代人として作家自身の母国語で新作を読める幸せを噛みしめたい。
上橋菜穂子を他の作家とは違う特別な存在にしているのは、
国際アンデルセン賞の受賞理由にも挙げられている次の2点だろう。
「自然や生き物に対する優しさと、深い尊敬の念に満ちている」
「多様な異なるレベルの関係性として世界をとらえている」
すなわち、人間以外の生きものに対する共感と尊敬の念、
善悪を決め付けず多様性を受け入れる懐の深さ。
さまざまな要素と物語が、より糸のように合わさっていく物語のなかで、
僕がとくに心を惹かれたのは、ヨミダの森に住む「谺主(こだまぬし)」スオッルの存在だ。
その老人はワタリガラスに魂を乗せて飛ぶことができる。
谺主とは、医療とは離れたところで暮らす辺境の人々が、
病に侵されたときに頼る民間療法の呪術師のような存在。
頼まれれば、死の床で体から抜け出た魂を追い、体に連れ戻すこともやる。
多分このスオッルのような存在は、医療の発達していなかった昔は、地域ごとにいたのかもしれない。
そういう存在が、気負いもなしに当たり前のこととして登場するのは、なかなか魅力的だ。
物語の担い手の一人、若き医師ホッサルは、病気と戦う、
いわゆる現代医学の象徴のような存在だ。
それと対峙するのは「命より魂を救いたい」という理念をもつ昔ながらの医術。
そこに、医療のもう一つのあり方として、
スオッルの存在をポンと放り込むこの作家のバランス感覚に拍手を送りたい。
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ただ一つの立場に立って善悪を決め付けないこと!
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これが上橋菜穂子の物語作りの信条だと思う。
やはり、『精霊の守り人』の中の女呪術師トロガイが言った次の言葉が、ここでも生きてくる。
「私はよその国の神話だからといって、それを頭から否定するほどバカじゃない。
どこの国の人でも皆、気が遠くなるほど長い年月をかけて、
この世の本当の姿と成り立ちを知ろうとしてきた。」
上橋は人それぞれの立場を尊重することに心を砕いている。
多様性がきわだった物語だからこそ、今の時代に必要とされ、
ひときわ輝く存在として煌きを放つのだと思う。
もちろん物語の面白さが群を抜いているから、読まれるのだけれど。
僕は『精霊の守り人』シリーズ、『獣の奏者』シリーズと読み継いで『鹿の王』を読み、
これまでの上橋菜穂子を更新する新たな物語として心から楽しんだ。
上橋菜穂子を読むのは『鹿の王』が初めてという人は、どんな印象を受けるのか、興味深い。
本屋大賞をとったというから人気を博しているのだと思うけれど、
この本は少し複雑で、少し理屈がきわだつところもある。
冒頭のワクワクが、ピーンと張り詰めたままにラストまで届くのか、聞いてみたい気がする。
『鹿の王』は、これまでよりもう少し哲学的な問答を盛り込み、
民族の哀しみなども掬い取った、大人寄りの物語という位置づけになるだろう。
上橋菜穂子は、国際アンデルセン賞を受賞した後のインビューでこう言っている。
「文学は、『人は』ということを考えますが、文化人類学者として研究をしてきた私は
『人々は』ということを考えてきました。
人々が集団で群れとして動くなかで何が起きるのか。
世界があり、社会があり、多様な文化、価値観、立場があって、
その中で人々の葛藤や衝突や、共存の喜びを描こうとしました。
それが評価されたのは、震えるほどうれしいです」
【見つけたこと】一つの物語は、一つの視点で貫かれるのが普通だ。
でも、その物語の向こうには必ず、別の視点から見た別の解釈の物語がくっついている。
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レディバードが言ったこと
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「ねぇ、気がついた?
この物語には、ものすごいスピード感があることに」
「そういわれてみれば、そうかな?」
「そうよ。ヴァンが飛鹿にのって崖を駆け下りるシーンとか、
キンマ犬と格闘するシーンとか、4倍速ぐらいのスピードだわよ。
上橋菜穂子さんがたくみなのは、こういうスピード感を映像のように書き込んでいるところよ。
日本のドラマでも、なぜだか脈絡もなく全力疾走するシーンがしょっちゅう見られるでしょ。
スピード感が大事なのよ、今の時代」
僕はへーっというように、レディバードを見た。
「物語の島の妖精にしては、面白いこと言うね。
おっとりした、時間が止まってるようなところに住んでるくせに、
今の時代はスピード感だなんてさ。」
レディバードは、キッとした表情で、やけに長く黙っていた。
(やばい、機嫌を悪くしちゃったかな?)
それから、ニコニコと僕に笑いかけた。
(不気味だ…)
「ふんふん、大事なのはスピードよ。
その感覚をつかめないでいると、時代に乗り遅れるわ。
私と違って、あなたは今にしか生きられないんだから。
遅くまで寝ていたり、だらだら夜中まで映画見てたり、締め切り延ばしたり……ね。
そういうのって、『のろま』って言うんじゃない」
(ちょっと待てよ。
ここのところ体調を壊して、生活のリズムが狂ってしまっているのは確かだけど、
いいがかりだろ、それは。)
「具合が悪かったのは知ってるでしょ。少なくとも僕は『のろま』じゃない」
ムッとしてそう言った。
レディバードは再びニコニコと笑ってうなづいた。
「そうね、体調壊したんだっけ?
そういうの自己管理できてないって言うのよ。
でも大丈夫」とますます柔らかい笑みを浮かべた。
優しい女神のようにすら見えた。
「あなたに粉をかけたわ。妖精の粉。
あなたは明日から毎日、朝早く起きることになるわね。そして、走るのよ。
嫌だと思っても、朝になればとてつもない『走りたい』という衝動にかられ、走るのよ。
スピード感について、理解できるようになると思うわよ」
僕は驚いて飛び上がった。
「なに、それ」
「だから、明日からあなたは、毎朝走るってこと。ランニングがあなたの新しい習慣になるわ」
「そんなこと、勝手に決めないでくれよ。僕には僕のやりかたってものがあるのに」
「そういうことは、しばらく走って、そのたるんだお腹の肉がへこんでから言ってちょうだい。
精神が躍動するには、体が躍動しなくちゃね。
上橋さんが言ってるように、体なのよ、まずはね」
そう言うと、レディバードはふっと消えてしまった。
僕は途方にくれて、そうだ、まったく途方にくれて、突っ立っていた。
走る? そんな気なんてさらさらない僕が、走らされる?
思わず舌打ちをし、ため息をついたた。
そして、少し気持ちを落ち着けて考えた後、結局あきらめた。
レディバードが粉をかけたというなら、逃れようがない。
それならば、とりあえず走るためのランニングシューズを買いにいこうと思った。
せめて走るのに適した靴はいるだろう。
やれやれ、まったく。
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