昨日の「花子とアン」
はなが『たんぽぽの目』という作品を出版社の編集長に見せたときの、編集長の言葉→評価は、説得力があった。
実際に村岡花子さんが、こういうタイトルの小説を書かれたのかどうかは不明だげど、いやいや、これってモンゴメリの『赤毛のアン』のことではないか、と思ったのだ。
「きみの作品はひどく普通だ。この作品はなにげないありふれた日常を切り取っている。ささやかな日常の断片に光りを当て、奇をてらったところがない。洗練された平凡、それはただちに非凡さに通じるものだ」
「きみの作品はひどく普通だ」という最初の部分は『赤毛のアン』には該当しないと思うけれど、「この作品はなにげない~」以下は、まさしく『赤毛のアン』
『赤毛のアン』を少女趣味とか、文学ではないとか、二流とか言う人たちがいる(らしい)けれど、“ささやかな日常”“ありふれた日常”をここまで魅力的で面白くて、しかも「生きることの意味」にせまった作品に仕上げているのだ。
天才的と言っていい。
仲良しのおばあちゃんが言っていた。
『赤毛のアン』を年取ってから読むと、子どもの頃とは違った、しみじみとした感情を行間に読みとることができる。
「どこを読んでも涙が出ちゃうのよ。人の気持ちをここまでていねいに織り込んでいたなんてね。この年になると、もちろんアンも大好きだけど、マリラに共感するの」
このドラマの脚本は、中園ミホ。
「やまとなでしこ」「ハケンの品格」など数々のヒットドラマを生み出した脚本家である。
このような編集長のセリフを書くなんて、向田邦子さんレベルのすごいライターになりそう。