サラ☆の物語な毎日とハル文庫

『赤毛のアン』に負けた?

茂木健一郎さんの『赤毛のアン』の公開講座(朝日カルチャーセンター)では、もう一つ、なるほどと思ったことがありました。

茂木さんは、小学5年生のときに、はじめて『赤毛のアン』を読んだそうですが、そのとき、なぜか『負けた』と思ったのだそうです。

何に負けたのか?

それは、物語の中で語られる人々の心情。とくにこんなシーンを茂木さんはあげていました。
アンが女の子ということで、孤児院に送り返そうかと、マシューとマリラが相談をするシーン。

「『兄さんか、あたしかどちらかが、明日スペンサーの奥さんとこへ、ひとっ走り行ってこなくちゃなりませんよ。あの子を孤児院へ返さななくちゃならないからね』
『そうさな、そう思わずばなるまいて』マシューはしぶしぶ答えた。
『そう思わずばなるまい、ですって? 兄さんにゃ、それがわからないの?』
『そうさな、あの子は、ほんとにかわいい、いい子だよ、マリラ。あんなに、ここにいたがるものを送りかえすのは、因業というものじゃないか』
『マシュウ、まさか、あんたは、あの子をひきとらなくちゃならないと言うんじゃないでしょうね』
 たとえマシュウが逆立ちしたいと言い出したとしても、マリラはこんなに驚きはしなかったであろう。
『そうさな、いや、そんなわけでもないが…』問い詰められて困ってしまったマシュウは口ごもった。『わしは思うに……わしらには、あの子を、置いとけまいな』
『置いとけませんね。あの子がわたしらに、何の役にたつというんです?』
『わしらのほうであの子になにか役に立つかもしれんよ』」

ここです。自分たちのほうで役に立つかもしれない。何かしてあげられるかもしれない。

茂木さんは、こんなふうにコメントしていました。
「最初は女の子は役に立たないと言っていたのに、やがて『わたしたちはアンに何をしてあげられるか』と考えるようになる。運命を潔く受け入れる。人間的で温かい。ぼくは小5のときに『負けた』と思ったと、今になって思う。
赤毛のアンの文化に、“way of life”に負けたんだ。
明らかに、この人たちの文化のほうが優れていると悟ってしまった。
僕にとっては重大なことだった。
人間を大切にするという部分で“way of life”において日本は負けている。
それを小5でわかるのは切ない」
と述べておられました。

この感覚がわたしにもあったんです。
児童文学(とくくる必要はないけれど)、少年・少女文学の中で語られる欧米の文化は、明らかに日本よりも深く、細やかで、真摯でした。たぶんキリスト教的倫理観に支えられた精神性が背景にあるのかもしれません。
とにかく、わたしも自分の日常とくらべてあまりに落差があることに、とまどっていました。

いまはどうなのでしょうね。
その落差は、なくなったのでしょうか?
縮まったのでしょうか?
あるいは文化の質が違っていただけで、本質的には変わりがなかったのでしょうか?

なかなか興味深いところです。

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