葦原に「王様の耳はロバの耳~♪」と歌うように流れる囁き声。
それを聞いた人々は、自分の耳を疑った。
えっ、王様って、耳がロバの形をしてるの?
職人の男は、仕事仲間にそっと耳打ちする。
「おい、どうやら王様の耳はロバの耳らしいぞ」
「しー、そんなことを言ってるのを役人に聞かれたら、つかまっちまうぞ」
仲間はとんでもないというように、首を振る。
しかし、「王様の耳はロバの耳~」という囁き声を耳にしたのは、もちろんこの男だけじゃない。
噂は、ジェットエンジンを装着した自動車のような勢いで、たちまち国中に広がった。
その噂が王様の耳に届かないはずはない。
国務大臣が王様のもとにゆき、「こんな噂が蔓延しておりますが、ここはひとつ国民の前にでられて、噂が根も葉もないウソであることをお示しになってはいかがでしょうか」
王様は怒り狂って、噂のもとを突き止めるように大臣に命令した。
しかし、たどり着いたのは葦原の風。
風が吹くたびに「王様の耳は~♪」という人の声とも風の音とも区別がつかない言葉が聞こえるのみ。
報告を受けた王様は、頭を抱えた。
仕方がない。
誰にもしられないように秘密にしていたのだが、こうなっては、事実を認めるしかないのか‥。
王様の耳はロバの耳の話は、つまり「秘密はやがて露見する」という教訓をふくんだ寓話だと思っていた。
出展はどこかを調べる必要があり図書館で聞くと、「イソップ童話じゃないか」とか、「ペロー童話集でしょ」とか、諸説紛々。
さて、困ったと、岩波書店に問い合わせる。
なにしろ「岩波少年文庫」を出していて、児童文学界では老舗なのだから。
問い合わせには、読者係の男性が対応してくれ、調べてくれた。
さすが岩波だと思ったのは、自社の文庫に出展元があったこと。
この話は、ローマ時代の代表的詩人、オウィディウスの『変身物語』に記されている。
岩波文庫『変身物語』上下巻、中村善也訳。
ミダス王の話は、下巻の115ページに登場する。
ロバの耳になった王様とは、ギリシア神話に登場するミダス王。
「わたしの体に触れるものはすべて黄金に変えてください」と酒神バッコスに願い、ひどい目にあった、あのミダス王だった。
ギリシア神話の神々、牧神パーンとアポロンが音楽の腕比べをしたとき、ミダス王だけは、パーンのほうを上とした。
怒ったアポロンはミダス王の耳をロバの耳に変えてしまう。
そのことは誰にも秘密にしていたが、理髪師だけには隠せない。
秘密を誓わされた理髪師だが、誰かに言いたくてたまらない。
そこで草原に行って穴を掘り、穴の中に「王様の耳はロバの耳」と小声で言うのだった。
ところが穴の上に生えた葦が、風がそよぐたびに「王様の耳はロバの耳」とささやくように歌いはじめた。
ミダス王は、おしゃべりの主を突き止めようとするが、葦以外は見当たらず、仕方なくあきらめるという話である。
『変身物語』はギリシア・ローマ神話のさまざまな登場人物、事象が変身するエピソードを集めた物語集でラテン文学の傑作。
作者のオウィディウスは紀元前43年3月20日に、ローマの東方40キロの、アペニン山脈中の町スルモーに生まれた、と記されている。
ギリシャ・ローマ神話は物語の宝庫ということだ。