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『人間の土地』で語られた、リビア砂漠不時着のようすはこんなふうだった。
1935年の話。
サン=テグジュペリはフランス-ベトナム間(パリ=サイゴン)短時間飛行記録に挑戦する。
同乗するのは機関士のアンドレ・プレヴォー。
パリ近郊のル・ブルジェ空港を飛び立った<砂漠の熱風号>は、チュニスで給油し、
リビアのベンガジでも燃料を補給。
現地時間で夜の11時過ぎ、サン=テグジュペリは、1500キロにおよぶ砂漠を越えるために、ベンガジを再び飛び立った。
機首をエジプトのアレクサンドリアとカイロを結ぶ直線の中央に向けて。
次の燃料補給まで、予定では3時間25分から40分の飛行になるはずだった。
ところが飛行機は積雲のなかに突っ込む。
強風に正面からあおられながら、真っ暗闇のなかを飛ぶ。
4時間15分が経過。
どう考えても、もう海上に出ているだろう…。
計器は高度400メートルを示しているものの、その土地の気圧がわからないので、
どの高度で飛んでいるのか検討もつかない。
必死で海上の船の帆影か灯台の灯を目視する。
その時だ…。
機体は270キロという高速で、リビア砂漠の小高い丘の頂のゆるい斜面に、
胴体着陸をするかのように衝突する。
もし斜面に頭から突っ込んでいたとしたら機体は大破し、
サン=テグジュペリも機関士も助かることはなかったと思う。
ところが、いわゆる切線…つまりカーブの上にちょうど乗っかるような形で突っ込んだのだ。
機体はそのまま270キロの速度で砂の上をはいずり、突き進んだ。
たまたま、そのあたりの砂は、黒光りする小石に覆われていた。
その小石がボール・ベアリングの役割をし、機体はもんどりを打って大破することもなく、
そのままの体制を保持しながら、ヘビのように蛇行しつつ進んで、停まった。
すべては夜の闇のなかで起こった出来事であり、万が一にもありえないような不時着陸だった。
この時点で怪我もせず、命が助かったのは、奇跡としか言いいようがない。
けれども、不時着したのは砂漠の真ん中だ。
このあと三日間、パイロットと機関士は飲み水もほとんどないなかで、
砂漠を歩きつづけることになる。
最初の2日は「ぜったいに機体から離れてはならない」という原則にのっとって、
壊れた機体に戻っている。
けれど、3日目。
このままでは発見される確立はゼロに等しいと見切ったふたりは、
機体を捨て、水を求めて歩きはじめる。
それこそ、いよいよ眩しくて目をあけていられないという最後の死の兆候が襲うまで…。
夜を越した明けがた、空気がまだ涼しく感じられるこの時間を過ぎたら、もうおしまいだと、
ふたりは再び歩き出す。
死を強く予感して。
それでも、歩かなければこの時点でお終いだから。
ところが…。
もうこれ以上はというほど歩いた頃、人間の足跡を見つける。
それから雄鶏の鳴き声。
あの丘の上に人影があるじゃないか。
遊牧民が一人。
でも少し離れているから、ふたりには気づかない。
ふたりは「おーい」と叫ぼうとするが、声にならない。かすれたささやき声しか出ないのだ。
あの遊牧民が自分たちに気づかずにそのまま向こうに行ってしまったら…。
追いつく力はもう残っていない。
こっちを向いてくれ…
お願いだ…
(書いてはないけど、きっと、そう祈ったと思う)
サン=テグジュペリと機関士は必死でやみくもに手を振り、遊牧民にこちらを振り向かせようとする。
そのとき、遊牧民がなにげに頭を回転させ、二人のほうを見る。
彼がやってくる!
こうしてサン=テグジュペリと機関士のプレヴォーは水を与えられ、命を救われた。
ベドウィンの遊牧民と出会えた。
助かったのは、その一点に尽きる。
(遊牧民だから、いつもその地点にいるわけじゃない。)
人は、相手が見知らぬ他人であれ、異民族であれ、助けて欲しいとあえぐ人を、助けるのだ。
それが人間の本来の姿なんだ。
そんなことを、印象深く胸に刻んだ。
きっとその遊牧民の男は、遠く離れた極東の日本で、
80年後の未来の僕が、溢れんばかりの感謝の気持ちをささげているなんて、知っちゃいないだろう。
サン=テグジュペリの命を救ったことさえ、死の床にあるとき、すっかれ忘れ去られていたかもしれない。
けれども人を憐れむ行為に、民族も文化もへったくれもない。
ただただ崇高な、人間を人間たらしめているもの。
偶然という神の意志を感じる、素晴らしい出来事だ。
とにかく、よかった……。