少し触れておく、
ヤマニンゼファー。
この馬は、私が競馬を始めてすぐに活躍を目の当たりにした馬。
1993年の秋の天皇賞。
当時は、まだ今のような一強ではなく、混沌としていた時代で、情報提供も少なく判断材料に乏しく、また競馬や馬券の幅も狭かった時代。
そんな中、ダートの短距離がデビューで、力をつけながら、秋の天皇賞で勝ってしまう馬。
デビューは、全く異なるが、
1200m,1600mで結果を残してきた馬が、東京の芝2000mでどうか?というサンプルとしてのお話。
当時もまだ、府中の芝2000mは、今よりさらに難しい2コーナーでした。
メジロマックィーンの降着があり、改善され今に至る。
その事も加えておく。
他頭数になり、外枠になると、不利を被るからです。
また、その2コーナーで、ごちゃごちゃするので、先手争いが厳しくなる。
強烈な逃げ馬がいない限り、ペースは多少緩む。
それはグランアレグリアには好都合な展開でしょう。
直線まで我慢して射程距離に収めておけば、
この馬の瞬発力が1番です。
上がり32秒台もありうる。
ヤマニンゼファーは、府中の1600mを二回勝ち、
叩き台の毎日王冠で、5着に敗れたものの天皇賞で1着となる。
当時は、外厩もなく、レースが調教の側面もあったので、本番の検討も難解であり、それで馬券の配当も良かった。
今は、情報公開も多く、また施設や調教技術や、馬の生育などの向上により、質の高い育成で管理されたサラブレッドが出走する。
当時と比べると情報量は比べ物にならない。
そんな中、馬券を少し買って喜んでいたもの。
当時の同期は、この馬連に◯をかけ、その配当を手にした事も記憶する。
セキテイリュウオー、ヤマニンゼファー。
懐かしい。
全く比較にはならないかもしれないが、
この時から、
府中の芝1600と芝2000の関係性を重視出きるようになった1つの馬の例が明示された。
58キロで、安田記念を勝つ当時の重みがそれを教えてくれた。
そう考えると、グランアレグリアの好走は十分に考えうると言えまいか。
最終追い切りは、ルメールさんが馬なりで藤澤調教師、最後の秋の天皇賞となる。
ルメールさんは、マインドフリーで望むという。
彼の騎乗で1番良いのは、強い人気馬に騎乗した時の力の抜け方。それがマインドフリーなのだと思う。
道中、馬に余計なストレスを与えないから、最後にその馬の最大限の末脚で伸びてくる。
それが彼の持ち味。
ヤマニンゼファー、騎乗した柴田善Jの勝った時のコメント。「馬の邪魔をしないように私は乗っていました。」
の言葉は忘れない。
いかに、馬にストレスを与えないかも、その馬の力を出す重要な要素なのだと。
だから、騎手は大事なのです。
誰がやるか。誰が仕上げるか。
人の要素も検討です。
申し遅れました。
古畑任三郎でした。
さて枠順や、いかに?