バイク・キャンプ・ツーリング

NERIMA爺、遅咲きバイクで人生救われる

1997年4月1日

2024年11月15日 | 1997年
4月1日(火)
 足利。11時45分には練馬をでる。
 関越30分ほど走って東松山。そこからは一般道。熊谷を過ぎ、大泉町から足利へいく。市内の勧銀で金をおろす。むっとするほどの暑さだ。よほど冬仕様のクシタニのジャケットを脱ごうかと思ったが、バッグにはとてもはいりきらない。しかたないので前をずばんと開けたままで走る。足利高校の横をぬけて、浄因寺に向かう。

 その途中に手打ちウドンのノボリにさそわれて、細い道からさらに細い道にはいる。どこまでも細い道で、ホントにこんな所にウドン屋なんかあるのだろうかと心配になるくらいの場所。もう引き返そうと思いはじめたころ、ようやく道の行き止まりみたいなところにまたウドンのノボリ。なんとそこは普通の民家。まったく車や人がきそうなところではない。よっぽどウドンづくりに自信があるのだろう。

 やや不安になりがらも、期待してしまう。車も数台停まっているので、ひょっとして隠れた名店かもしれない。はやる気持ちを押さえる。庭で洗濯物を干しているおばさんに聞くと、やっているらしい。

 離れみたいなところにあるノレンをくぐると1組だけ客。
 なんか変わっている。床面積、3分の1が1段高い板張りのステージにしつらえてある。小学校か中学のミニミニ体育館だ。床はすべてタタミの座敷だ。舞台の上には大きなテレビが数台、なにやら机のようなもの、イスのようなものが無造作に積み重ねて置いてある。位置なんかどうでもいいというか、拾ってきたのをただ置いたという感じだ。機能はしないだろうなというようなカラオケも数セット。雑然としている。

 舞台の前に置いてあるテレビでは高校野球を放送している。日南学園と平安高校がプレイボールする時間だ。その横には、ソファが置いてあり、だれかが寝るためなんんだろうか、掛け布団までかけてある。いったいなんだろう。しっかり見回すと、小さな公民館という感じがしないでもない。

 壁に貼ってある新聞の2倍はあるだろう張り紙を見て納得。
 ここは営利目的でやっている店ではないので、夜のカラオケは音量をひかえましょう、タバコの火の始末はしっかりやろうと書いてある。

 公営のなにかかと思ったが、そうでもないらしい。藤なんとか会という団体がやっているらしいのだが、よくわからない。団体で写っている写真が何枚も額にいれて飾ってある。まあ、そんなことはどうでもいい。モリウドン。これが量がありウマイ。切り方にムラがあるので、ウドンの煮上がりにムラがあるのだが、うまい。ミョウガの薬味もいい。これで400円。

 ところが、このあとすぐわかったことだが、このあたりは、手打ちそばやうどんという看板があちこちにある。どれも民家のようだ。どうやら浄因寺にゆかりのなにからしい。今度は他の店のもぜひ食べてみよう。水沢ウドンにも似た味でなかなかいい。

 浄因寺は門前までいくが、かなり歩きそうなので、また今度いくということでUターン。
 巨石奇岩の名草に向かう。ここも表の厳島神社はパスして奥の院の巨石群のところまで林道をつたっていく。巨石がごろごろ。まあ、こんなものだろう。帰りは、足利から館林まで走り東北道。4時45分にのって、5時半には大泉に着く。


1997年3月25日

2024年11月14日 | 1997年
3月25日(月)
 ベールボップ彗星を見に行く。夜空を見ると雲ひとつない月空。思い立って、深夜2時半ごろ出発。川越街道を川越(それにしてもトラックの多いこと)までいき、日高から高麗を抜け、正丸峠のトンネルの手前から定峰峠方面に登る。
 まっ暗。

 白い影が後ろから追いかけてくるような気がして、なるべくバックミラーを見ないようにして走る。高度があがるにしたがって寒くなってくる。オーバーパンツをはいてこなかったのをやや後悔する。峠には車が数台。みんなでかい3脚つきのカメラをかまえている。満月が煌々と輝いていたが、北東方面にかすかに尾を引いている彗星。4時くらいから30分か40分くらい空を眺めてから、雪が残っている峠道をばりばり踏み進んで帰ってくる。

 往きの時。正丸トンネルを走る道(秩父に通じている)は異常といえるくらいにトラック多かった。わずかにとぎれがあったかと思うと、集団でどどーっとくる。そしてまたちょっと途切れたかと思うと、またどどっとくる。正丸峠から道をそれるまで、そのくり返し。多分、セメント関係じゃないかと思うが、あの台数が深夜ひっきりなしに寂しい山の中を走ってくるのは、異次元そのものだ。


1997年3月24日

2024年11月13日 | 1997年
3月24日(月)
 清瀬の「一元」にラーメンを食いにいく。素朴で、うまい。カツブシダシがプーンときいていい感じ。380円也。安い。お店のご夫婦もいい感じ。

 帰り、荒川の河川敷にいき、Uターンの練習場所を見つける。ひとりでとろ
とろやっていたら、隣にもだれかやってきて練習をはじめる。30分ほど練習してから(あらためて自分の運転の未熟さを痛感)、休んでいるとなりの奴に話しかけた。ヤマハのXJR400に乗っている若い男で、今度大型の免許をとるので、たまにここで練習しているらしい。どこで受けるのか聞いてみると「レインボースクール」だという。2月のはじめに申し込んで、来週あたりからやっといけるらしい。この間、自分がスクールに電話したときには、たしか10日待ちくらいだった。彼は自分にも大型を受けるのかと聞いてきたが、今のところその気はないと答えておく。あと、100時間くらい練習してからだ。

 そのあと、堤を走っていて、自分でなにを考えていたのかわからないが――多分、ちょっとばかり練習して油断していたのだろう――堤を越えて川面を見てみたいと、5、6メートルある芝の堤を斜めにかけあがったら見事途中で転倒。グワワーンとすさまじいエンジン音がして、バイクの後輪だけが円を描くようにスライドしながら駆け上がり、ほぼ前後逆さになって転倒。幸いにもケガはなし。こんなになってしまったバイク、どうやって起こせばいい。すこしずつ、バイクを立てながら下にもっていく。クラッチばぐにゃりと曲がっている。それにギアペダルも中に折れ込んでいる。ここで動かなくなったらどうすればいい。焦る。セルスイッチを押すが、うんともすんともいわん。もう一度やるが、ダメなようだ。冷静になれと念じる。キルスイッチ。解除。ようやくエンジン始動。一安心。だが、エンジン音が変だ。キャブにガソリンが流れこんだからなのだろうか。よく、わからない。しばらく走ると元に戻る。曲がったクラッチレバーもチェンジペダルもなんとか操作できる。

 教訓。CBはオフ車ではない。絶対に確実な道以外は走らないこと。今度は大けががまっている。以前のタチゴケもふまえて、もう一つ教訓。道が平坦でないところで、Uターンには細心の注意。未熟なうちはやらないほうがいい。
そういえば、以前この荒川の土手では、堤の上でUターンしようとして立ち往生したのではなかったか。車の轍があり、道の真ん中が盛り上がっていて、そこにUターンしようとして車体エンジン部の腹がつかえてしまい、後ろにも前にも進めなくなって難儀した場所だ。ヤジロベエのようにゆらりゆらりと動いていた。あのときもあせった。思いだすとおかしくなるが、大汗かいてバイクを移動させたのだ。
 教訓。河川敷では気を抜くな。


1997年3月20日

2024年11月11日 | 1997年
3月20日(木)
 朝、11時くらいからでかける。
 外環から常磐道にのり、桜土浦でおりる。祭日なので外環でも常磐道にのっても10キロくらいはずっと渋滞。霞ヶ浦の南側をまわり、潮来、鹿嶋市を抜けて大洗まで行く。大洗の海をちょっと期待していたが、大したことなし。帰りに海産センターでキンキの開き2枚600円、3枚入り600円の白身魚の開きを買う。帰りも鹿嶋をとおって牛堀から今度は霞ヶ浦の北を走り、有料の橋を抜け、桜土浦から高速にのる。ずうっと三郷まで渋滞。帰宅したのは、8時過ぎ。今日のツーリング、無補給で368キロ走りまわった。帰り谷原でガスをいれると、ちょうど14リットル。満タンで400キロは走れるということだ。


1997年3月15日

2024年11月09日 | 1997年
3月15日(土)
 夕方、オイル交換。今回はオイルフィルターも交換。雑誌に書いてあったとおりにドレンボルトを抜いて、しばらくたってから車体を左右に傾けると、ルルルという感じでいつもよりたくさん古いオイルがでてくる。なんか、うれしい。いい気持ちで、新しいオイルをいれる。――と、規定の2・9リットルでは足りない。今回は4リットル缶の残りがあと2リットルほどだと思っていたので、新しいカストロールRSの4リットル缶を買ってきていた。ところがオイルジョッキで計りながらいれると、この缶には3リットル強も残っていた。これで新しい缶は開けなくてすむなと、なんとなくほっとしていたのだが……。まあ、思い通りにはいかない。こんなもんだろう。