皆さん、こんにちは。
プロ研修講師・プロコンサルタント・中小企業診断士のあお先生こと青木公司です。
本日は福島県いわき市で内勤者パワーアップ研修の講師です。
さて、本日は「今は無き、中小企業診断士の大重鎮、杉本牧先生がつなぐご縁について」です。
先週、大手研修会社社長に接待していただきました。
その研修会社には青木が塾長を務める東京都中小企業診断士協会中央支部認定のプロコン塾、売れプロメンバーを毎年、数十名、超大手企業の研修講師として紹介して一緒に入っているのですが、そのことのお礼などで、ご接待していただきました。
さすが大手研修会社社長、恵比寿の素晴らしいお店に連れて行っていただきました。
その際、相手の研修会社からは社長、取締役、青木の弟子のその会社の講師・コンサル、女性の営業リーダーがいらっしゃったのですが、その女性からこう話しかけられました。
「青木先生、青木先生は中小企業診断士でいらっしゃいますが、もうなくなったのですが杉本牧をご存じですか?
実は、私、杉本の義理の娘なのです。」
と。
僕は「そうなんですね。もちろんですよ。とても立派な先生でしたよ。」と話をしました。
・杉本牧先生が青木も役員を務める5000名近くの診断士が属する東京都中小企業診断士協会の重鎮の先生で、1000名の診断士がいる城南支部の支部長経験者で、東京協会でも副会長を務め、ご病気がなければ間違いなく会長もされていたということ。
・杉本先生のたくさんの立派なエピソード
・青木もとても感謝していること
・大手研修会社の社外取締役も務めていて、自分の実務補修生をそこに紹介したりもされていたこと
・亡くなる直前まで車いすで奥様に送られて、お仕事をされていたこと。
・厳しさとやさしさを兼ね備えたかただったこと。
社長や執行役員など皆さんの前でお話をしたのでとてもうれしそうですし、みんな「立派な先生だったのですね」といっていました。
また、「父は自分の実績などはほとんど家では話をしなかったのでそんな偉い先生とは思いませんでした。」とのことでした。
娘さんからは逆に僕の知らなかったエピソードをたくさんお伺いしました。
「会社で働いていたなくなる20年前以上に、ご病気を発症され、それから残りの命を懸けて中小企業診断士で独立して、中小企業に貢献されようとしていたこと。」
「お葬式の際、何人もの中小企業の方が、「先生からこれをつかいなさい」といって大変な時にお金を頂いた。返す前に亡くなられた。それをお子さんにかえさないといけない」と言われたこと」
「たくさん、いろんな方に支援をしたり、困っている企業からはお金をあまり頂かなかったため、そんなに多くの資産は驚くほど残されなかったこと」(清潔な人です)
「家ではとにかく優しい父で、「厳しさ」を持っているとは全く感じなかったこと。」
良い話ができました。
翌日、僕が杉本先生が亡くなったときに書いた追悼文を送ったところ、彼女は杉本先生の奥さんやお子さんである旦那さんに「青木先生とお会いした」、「青木先生が杉本先生と知り合いでとても賞賛していたこと」、「追悼文を書いてくれていたこと」を伝えたらとても喜んでいたということです。
その数日後、杉本先生が社外取締役を務めていた研修会社の役員の方から、メールを久しぶりに頂きました。
杉本先生がその研修会社の紹介した中小企業診断士である実務補修受講生です。
今やその会社のNO2です。
ご縁って不思議ですよね。
以下、2014年、杉本先生がお幕なりになったその時に青木が書いた追悼文です。
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さて、本日は「今は無き、中小企業診断士の大重鎮、杉本牧先生がつなぐご縁について」についてです。
つい先日、偉大な先生がお亡くなりになりました。
杉本牧先生です。
杉本先生は、東京都中小企業診断士協会の城南支部の先生で、元城南支部長を経験され、東京都中小企業診断士協会でも副会長を勤められました。
まさにプロの中小企業診断士中の診断士という方で、多くの中小企業のご指導をされてきました。
その指導も零細企業からかなりの企業のコンサルもされ、大手企業などにかなりの規模入っている大手研修会社の外部役員などもされていました。
大物中の大物で、本当に長い間闘病されたご病気さえなければ、東京協会会長、そのあと、本部の会長にだってなっておかしくないような方です。
それでもご病気になっても、つい最近まで何年も何年も本当に協会のために、後輩のためにつくされていました。
実務補習後も毎回とても力を入れてご指導されていました。
時には厳しく、時には愛情を持って。
そのために、実務補修後も実習生の人たちがしたい、多くのお弟子さんたちがいらっしゃいました。
そして、自分の実習生に自分の知り合い先を就職先で紹介する、仕事を紹介するなど手厚く面倒をみていらっしゃいました。
東京都中小企業診断士協会中央支部に在籍する青木とは支部が違いますが、僕もいろいろ声をかけていただきました。
僕が特に印象に残っていることがあります。
僕がまだ3年目の駆け出しの診断士だったころ。
東京都中小企業診断士協会で「同世代会」というネットワーク作りの事業がありました。
これは、20代30代の若い世代で世代会を作り、東京都中小企業診断士協会会員部主管で、同世代の若手のネットワークをつくるという事業でした。
青木は、同世代会を立ち上げる前に会員部の立案者の方に呼ばれて、世代会を率いていってほしいという相談を受けました。
そして世代会幹事として、かかわりました。
第一回の会合では100名近くの人が集まりました。東京協会の20代、30代診断士は600名程度でしたから相当な人を集めてやったことになります。
その当時から当時、東京協会副会長だった杉本先生にも大変誉めていただきました。
また、春に、青木が企画して、代々木公園で大花見大会を実行したときのことです。
「中小企業診断士たちで盛大にお花見をして、そういう遊びからハートとハートでつながる関係をつくろう!」
そんなお題目に、30名以上の診断士が集まりました。
そんな若手の花見の会でしたが、東京協会トップの常任理事の先生たちにご相談したところ、何名もの先生たちが来ていただきました。
その中に杉本先生が来ました。
杉本先生は、そう大きくない体なのに、高級な日本酒を一升瓶を何本も一生懸命、ふーふーいって、持ってきて差し入れしてくれました。
あいにく、当日は雨でしたが、いち早く大きな階段の下に陣取り、シートをひいて日本酒を傾けながらいろいろお話させていただきました。
のどを手術されたりした関係で、声がずっと出にくかった杉本先生ですが、いつも一生懸命お話されていました。
その後もおみかけするたびに「がんばっていますか?」と温かく声をかけて頂きました。
晩年、徐々に体力を失われた杉本先生ですが、それでも、中小企業診断士のため、クライアントのためにがんばっていらっしゃいました。
僕も契約している大手研修会社の取締役にお話を聞きましたが、つい最近まで車いすで奥様と一緒にその研修会社の社外役員として、取締役会にでていらっしゃったそうです。
そこの取締役は、杉本先生がその会社に紹介した中小企業診断士、杉本先生の実習生です。
時には厳しいといわれた杉本先生。
その厳しさはプロフェッショナルとして妥協がないからだからこそと僕は思います。
厳しさの裏に、温かさのある方だったと思っています。
こういう本当のプロフェッショナルの中小企業診断士の偉大な方がお亡くなりになるのはとても残念です。
そして、残された我々はそういう「プロフェッショナルの遺伝子」「プロフェッショナルの魂」を紡いでいかないといけないと思っています。
杉本先生のご冥福を心からお祈りします。
杉本牧先生です。
杉本先生は、東京都中小企業診断士協会の城南支部の先生で、元城南支部長を経験され、東京都中小企業診断士協会でも副会長を勤められました。
まさにプロの中小企業診断士中の診断士という方で、多くの中小企業のご指導をされてきました。
その指導も零細企業からかなりの企業のコンサルもされ、大手企業などにかなりの規模入っている大手研修会社の外部役員などもされていました。
大物中の大物で、本当に長い間闘病されたご病気さえなければ、東京協会会長、そのあと、本部の会長にだってなっておかしくないような方です。
それでもご病気になっても、つい最近まで何年も何年も本当に協会のために、後輩のためにつくされていました。
実務補習後も毎回とても力を入れてご指導されていました。
時には厳しく、時には愛情を持って。
そのために、実務補修後も実習生の人たちがしたい、多くのお弟子さんたちがいらっしゃいました。
そして、自分の実習生に自分の知り合い先を就職先で紹介する、仕事を紹介するなど手厚く面倒をみていらっしゃいました。
東京都中小企業診断士協会中央支部に在籍する青木とは支部が違いますが、僕もいろいろ声をかけていただきました。
僕が特に印象に残っていることがあります。
僕がまだ3年目の駆け出しの診断士だったころ。
東京都中小企業診断士協会で「同世代会」というネットワーク作りの事業がありました。
これは、20代30代の若い世代で世代会を作り、東京都中小企業診断士協会会員部主管で、同世代の若手のネットワークをつくるという事業でした。
青木は、同世代会を立ち上げる前に会員部の立案者の方に呼ばれて、世代会を率いていってほしいという相談を受けました。
そして世代会幹事として、かかわりました。
第一回の会合では100名近くの人が集まりました。東京協会の20代、30代診断士は600名程度でしたから相当な人を集めてやったことになります。
その当時から当時、東京協会副会長だった杉本先生にも大変誉めていただきました。
また、春に、青木が企画して、代々木公園で大花見大会を実行したときのことです。
「中小企業診断士たちで盛大にお花見をして、そういう遊びからハートとハートでつながる関係をつくろう!」
そんなお題目に、30名以上の診断士が集まりました。
そんな若手の花見の会でしたが、東京協会トップの常任理事の先生たちにご相談したところ、何名もの先生たちが来ていただきました。
その中に杉本先生が来ました。
杉本先生は、そう大きくない体なのに、高級な日本酒を一升瓶を何本も一生懸命、ふーふーいって、持ってきて差し入れしてくれました。
あいにく、当日は雨でしたが、いち早く大きな階段の下に陣取り、シートをひいて日本酒を傾けながらいろいろお話させていただきました。
のどを手術されたりした関係で、声がずっと出にくかった杉本先生ですが、いつも一生懸命お話されていました。
その後もおみかけするたびに「がんばっていますか?」と温かく声をかけて頂きました。
晩年、徐々に体力を失われた杉本先生ですが、それでも、中小企業診断士のため、クライアントのためにがんばっていらっしゃいました。
僕も契約している大手研修会社の取締役にお話を聞きましたが、つい最近まで車いすで奥様と一緒にその研修会社の社外役員として、取締役会にでていらっしゃったそうです。
そこの取締役は、杉本先生がその会社に紹介した中小企業診断士、杉本先生の実習生です。
時には厳しいといわれた杉本先生。
その厳しさはプロフェッショナルとして妥協がないからだからこそと僕は思います。
厳しさの裏に、温かさのある方だったと思っています。
こういう本当のプロフェッショナルの中小企業診断士の偉大な方がお亡くなりになるのはとても残念です。
そして、残された我々はそういう「プロフェッショナルの遺伝子」「プロフェッショナルの魂」を紡いでいかないといけないと思っています。
杉本先生のご冥福を心からお祈りします。
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