皆さんのポチで笑顔になれます!にほんブログ村ランキング参加中。皆様の1日1回の温かいポチをなにとぞお願いします!
↓
にほんブログ村
こんにちは!中小企業診断士の青木公司です。
本日2つ目のブログです。
元サッカー日本代表ディフェンダーの松田直樹選手が急性心筋梗塞から懸命の治療もむなしく亡くなりました。
地元の病院のスタッフたちは全員が松田選手の大ファン。
みんな泣きながら賢明に治療にあたりましたが亡くなったそうです。
JFLではJリーグと違い、AEDが常備されておらず、松田選手が練習で倒れた際、見学に来ていた女性看護士が必死に心臓マッサージしましたが、結局助かりませんでした。
今後、JFLもAED常備が義務付けられるそうです。
青木は横浜在住のため、横浜マリノスは大好き。Jリーグ発足当初からベルディーよりマリノス派。
僕のアイドルは中村俊輔選手ですが、松田選手も超お気に入りの一人でした。
闘志むき出しのディフェンス。
どんな世界的スター相手でも絶対引かないエース殺しといわれたマンツーマンマーク。
仲間の気の抜いたプレーは絶対許さない熱さ。
あのシドニーオリンピックでのマイアミの奇跡の時。
ジュニーニョ、ロナウジーニョ、ロベルトカルロスら23歳以下でありながらすでに世界的スーパースターを多く抱えるブラジルが、オーバーエイジで世界最高クラスのフォワードベベット、世界最高のセンターバックのアウダイール、マルシオサントスを要したブラジル。
優勝候補NO1だったブラジルにオーバーエイジを使っていない日本代表が1-0で勝ったあの試合。
ブラジルの強力な猛攻に松田選手は耐えました。ヘディングで。そして相手に必死にくらいつきながら。
2002年の日韓ワールドカップではトルシエジャパンの最後の砦。フラットスリーの不動の右サイドとしてベスト16に貢献しました。
あのベルギー戦。ロシア戦、チュニジア戦。体を張って防御。
トルコ戦では足が止まる仲間たちを叱り飛ばしました。
そして気さくでぐっとくる最高の男でした。
2010年、横浜マリノスのレギュラーとして活躍しながらオフに解雇。
多くのサポーターが怒ってマリノスのクラブハウスに駆けつけましたが、同様に青木も怒り心頭でした。
世代交代は実力で行うべきものであり、年齢がいったからといって、無理やり行うものではない。
しかし、松田選手はその非情の決断を受け入れました。
マリノスでの最後の試合。
泣きまくるサポーターたちの前で、「俺、サッカーが本当に好きなんすよ」といって現役続行。
そして中東のチームから1億円のオファーがあったにもかかわらず、それを断り、選んだのがJFLの松本山雅FC。
オファーのあった複数のチームから最も条件の悪いJFLのこのチームを選びました。
「俺には伝えるべきものがある」「JFLからJリーグに押し上げたい」
一億円での高いオファーを断った理由をこう述べました。
まだ34歳。
松本山雅FCで代替のきかない存在と監督に言わしめる松田選手は日本のサッカーファンみんなにとって同様だったはずです。
「昨年、マリノスで引退していたら」
「AEDの常設された資金力のあるチームでサッカーを続けていたら」
そんなことをいっても松田選手は帰ってきません。
早すぎる。そして残念すぎる死です。
松田直樹選手。今まで本当にどうもありがとう!
あのスーパープレーの数々。決して僕たちは忘れないから!
皆さんのポチを励みにしています。にほんブログ村ランキング参加中。皆様の1日1回の温かいポチをなにとぞお願いします!
↓
にほんブログ村
↓

こんにちは!中小企業診断士の青木公司です。
本日2つ目のブログです。
元サッカー日本代表ディフェンダーの松田直樹選手が急性心筋梗塞から懸命の治療もむなしく亡くなりました。
地元の病院のスタッフたちは全員が松田選手の大ファン。
みんな泣きながら賢明に治療にあたりましたが亡くなったそうです。
JFLではJリーグと違い、AEDが常備されておらず、松田選手が練習で倒れた際、見学に来ていた女性看護士が必死に心臓マッサージしましたが、結局助かりませんでした。
今後、JFLもAED常備が義務付けられるそうです。
青木は横浜在住のため、横浜マリノスは大好き。Jリーグ発足当初からベルディーよりマリノス派。
僕のアイドルは中村俊輔選手ですが、松田選手も超お気に入りの一人でした。
闘志むき出しのディフェンス。
どんな世界的スター相手でも絶対引かないエース殺しといわれたマンツーマンマーク。
仲間の気の抜いたプレーは絶対許さない熱さ。
あのシドニーオリンピックでのマイアミの奇跡の時。
ジュニーニョ、ロナウジーニョ、ロベルトカルロスら23歳以下でありながらすでに世界的スーパースターを多く抱えるブラジルが、オーバーエイジで世界最高クラスのフォワードベベット、世界最高のセンターバックのアウダイール、マルシオサントスを要したブラジル。
優勝候補NO1だったブラジルにオーバーエイジを使っていない日本代表が1-0で勝ったあの試合。
ブラジルの強力な猛攻に松田選手は耐えました。ヘディングで。そして相手に必死にくらいつきながら。
2002年の日韓ワールドカップではトルシエジャパンの最後の砦。フラットスリーの不動の右サイドとしてベスト16に貢献しました。
あのベルギー戦。ロシア戦、チュニジア戦。体を張って防御。
トルコ戦では足が止まる仲間たちを叱り飛ばしました。
そして気さくでぐっとくる最高の男でした。
2010年、横浜マリノスのレギュラーとして活躍しながらオフに解雇。
多くのサポーターが怒ってマリノスのクラブハウスに駆けつけましたが、同様に青木も怒り心頭でした。
世代交代は実力で行うべきものであり、年齢がいったからといって、無理やり行うものではない。
しかし、松田選手はその非情の決断を受け入れました。
マリノスでの最後の試合。
泣きまくるサポーターたちの前で、「俺、サッカーが本当に好きなんすよ」といって現役続行。
そして中東のチームから1億円のオファーがあったにもかかわらず、それを断り、選んだのがJFLの松本山雅FC。
オファーのあった複数のチームから最も条件の悪いJFLのこのチームを選びました。
「俺には伝えるべきものがある」「JFLからJリーグに押し上げたい」
一億円での高いオファーを断った理由をこう述べました。
まだ34歳。
松本山雅FCで代替のきかない存在と監督に言わしめる松田選手は日本のサッカーファンみんなにとって同様だったはずです。
「昨年、マリノスで引退していたら」
「AEDの常設された資金力のあるチームでサッカーを続けていたら」
そんなことをいっても松田選手は帰ってきません。
早すぎる。そして残念すぎる死です。
松田直樹選手。今まで本当にどうもありがとう!
あのスーパープレーの数々。決して僕たちは忘れないから!
皆さんのポチを励みにしています。にほんブログ村ランキング参加中。皆様の1日1回の温かいポチをなにとぞお願いします!
↓
