和泉衆(いずみのしゅう)
〔現代かなづかい〕いずみのしゅう
1576年5月大坂攻めに参戦し、木津攻めの先陣
をつとめる。
1581年2月京都の馬揃えで、蜂屋頼隆・河内衆・
和泉衆・根来寺の大ヶ塚・佐野衆が
馬場入り二番手をつとめる。
1581年土橋守重は鈴木重秀の継父を殺害。
1582年1月遺恨に思った鈴木重秀は、上意を
得たうえで土橋を殺害し土橋の構え
を襲撃。信長が織田信張を大将として
根来・和泉の衆を応援に送ったところ、
土橋の子と根来寺の千職坊の兄弟が
構えに立て籠もる。
1582年2月信長信濃出馬の条々書き出しの中で、
和泉衆は紀州方面の守備を命じられる。
↓ランキングに参加中。クリック応援よろしくお願いします!
にほんブログ村
〔現代かなづかい〕いずみのしゅう
1576年5月大坂攻めに参戦し、木津攻めの先陣
をつとめる。
1581年2月京都の馬揃えで、蜂屋頼隆・河内衆・
和泉衆・根来寺の大ヶ塚・佐野衆が
馬場入り二番手をつとめる。
1581年土橋守重は鈴木重秀の継父を殺害。
1582年1月遺恨に思った鈴木重秀は、上意を
得たうえで土橋を殺害し土橋の構え
を襲撃。信長が織田信張を大将として
根来・和泉の衆を応援に送ったところ、
土橋の子と根来寺の千職坊の兄弟が
構えに立て籠もる。
1582年2月信長信濃出馬の条々書き出しの中で、
和泉衆は紀州方面の守備を命じられる。
↓ランキングに参加中。クリック応援よろしくお願いします!
にほんブログ村