JR横浜線の橋本駅から大戸行のバスに乗り、神奈川県相模原市と東京都町田市の教会を流れる境川周辺を散策してきました。
上大戸で下車し、大戸観音へ。
写真は大戸観音堂の大銀杏。
大戸観音堂。 町田市相原町4643
正式名称は『臨済宗妙心寺派 祐照庵』で、1597(慶長元年)創建。
明治初期に焼失し、八王子市散田太子堂の堂宇を移築したとの事。
武相卯歳観音霊場48か所、24番の札所になっています。
『町田市史』に拠ると、
「八王子市山田の広園寺の末寺で、「本尊は正観音坐像で長さ一尺ばかり、弘法大師の作と言い伝えが」と『風土記稿』に記されているが、現在の本尊は石像で、付近の田圃から出土と伝わるので、『風土記稿』の本尊は明治初年の火災で焼失したのではないか」と述べている。
「祐照庵」と言う庵は、「観音堂の側にあり」と言う記述が有り、観音堂の脇に僧庵が有り、当時はその建物を「祐照庵」と言い、観音堂は観音堂と、言っていたようです。
現在無住で、境内に地域の集会場である「上大戸会館」が有ります。
観音堂の子鼻。
猪と象と、定番の2匹ですが、「黒く塗られた大きな目」が特徴的。
「明治三拾九年四月」と書かれた「征露記念」の額。
この地区から出征した人達が記されているようです。
観音堂に向かって左奥には石仏とお墓が。
左奥は歴代の住職の墓かな。
六地蔵と野仏と馬頭観音の8体の石仏。
かつて六地蔵を安置した『六角堂』が観音堂の西南に有ったと記されているとの事。
現在六角堂は有りませんが、当時はこの6地蔵が安置されていたのでしょう。
この六地蔵には謂れが有ります。
八王子千人同心の頭、原半左衛門の娘が奉公人の男と身分違いの恋仲になり、2人は半左エ門によって斬り殺された。
斬り殺された地は大戸の北、町田街道の坂で、『恋路の坂』と呼ばれる様になり、2人を葬った塚は坂の東側の山に有って『千人塚』と呼ばれ、不憫に思った村人が千人塚に六地蔵を安置した。
後に六地蔵は大戸観音堂の境内に移された。
と言う言い伝えが有ります。
真偽の程は分かりませんが、江戸の昔から地域の人々が想いを寄せ、信仰の対象として大切にしてきたお地蔵様なのでしょう。
銀杏の近くでアミガサタケを発見。
近くの熊野神社と境内の木々。
この位置から見ただけで、境内には立ち寄らず。
チョット惹かれたのだけれどね。
次のバス停である青少年センター入口近くのお地蔵様。
『子育て地蔵』としての信仰の他に、地域に流行り病が発生した際にそれを収め、『イボ取地蔵』と呼ばれたとの事。
「現在世界を騒がせている『新型コロナウィルス』に対する良い薬が1日も早く世界に行き渡り、病が収束して平穏な日々が戻ってきますように」
道端にニリンソウを発見。
キクザキイチゲも。
この日の同行者たち。
2輪のキクザキイチゲの花の中には、それぞれ1匹ずつ虫が。
花の蜜目当てではなく、日向ぼっこをしているみたい。
小仏層が見られる露頭。
薄い岩が何十枚も積み重なっている「海底の沈殿物」の層。
ミルフィーユとかミルクレープといった感じかな。
大地沢青少年センターの建物。
東京都町田市の施設で、宿泊棟のロッジやテントを張る事が出来るテントサイト、炊事場所や催しが出来るステージ、工作等を行う建物等が有り、小学校のキャンプ(林間学校)だけでなく、大学のサークルとか、社会人の団体のイベントで利用するのに良さそう。
町田市民以外でも利用可能との事なので、個人で利用するのにも良い施設だと思います。
「購入したテントやキャンプ用品を試しに使う」とか、「テントデビュー」には良いかと思う。
町中よりは涼しいけれど、奥山や高山の様な天候の急変や朝晩の冷え込みは無いだろうし、それでいて町中や住宅地近くの喧騒からは遠い場所。
それでいて何かあったら青少年センターの建物に人が居るし、トイレも水道もある。
野生動物は、猪は出るけれど、熊や野犬がウロウロする事はほぼ無いだろう。
それ以上に怖いのは人間(悪い人もいるからね)だけれどね・・・。
テントサイトの木にこのような看板が。
地面を見ると曲がった鉄パイプの様な物が半分地面に埋まった様な姿で・・・。
此れが「地下ケーブル」との事。
大正~昭和に設置され、日本~朝鮮・満州を繋いだ「通信ケーブル」か。
此処を通って、この先どの様に日本列島を縦断して日本海に繋がるのだろう?
現在もケーブルが太平洋等の海に沈められて世界各地を繋いでいるのだけれど、「すごいなぁ~」と思う。
堰堤を越えるとここで水が無くなる。
「境川源流」の古い看板が此処に有るのだけれど、そこの説明書きには「前方の斜面の上部に水源が有る」との事。
いったん地下に浸み込んで、堰堤下部から再び水が現れています。
堰堤の上、右手に『境川源流入口』の看板が。
細くて急な道を登っていきます。
ミヤマキケマン
左へ橋を渡り個所の上部に『境川源流』の看板が。
ここが源流。
此処から片瀬海岸迄52kmの流れになっています。
「52kmか・・・。2日、散策しながらなら3日で歩けるな」
東海道を歩いて以降、道路標識の「○○ 52km」何てのを見ると、「何日かかるかな」と考えてしまいます。
52kmなら数回に分けて楽しめる距離。
「境川沿いを歩く」
計画してみようかな。
下山後町田街道を高尾方面に北上。
この先を行くと『恋路の坂』に。
坂まで行きたかったけれど、今日はここで左折。
山と畑の間の道を行きます。
長閑な光景ですね。
道の右側に鎮座するお地蔵さん。
お地蔵さんの先にこの急な階段が。
「チョット急過ぎるだろう・・・」
と引いてしまう程に急な階段です。
階段の上に有るのが権現社と言う小さなこの地域の氏神様。
此処は、前に述べた原半左衛門が娘と奉公人の2人を斬った際に使用した刀を不浄な物として奉納した神社と伝わっています。
刀は後に行方知れずになり、現存しません。
今日は、六地蔵、恋路の坂、権現社・・・と、言い伝えの地を巡る行程でした。
町田街道に戻り、今度は南下。
相原駅方面に進みます。
「バスの時間をにらみながら、行ける所まで行き、寄り道を」
と言う事で、ずんずん歩いていきます。
写真は左手の斜面の上に神社が有る場所で、写真の奥のお堂は十一面観音堂。
町田街道の左手は住宅が有り、その裏は丘になっています。
丘の上に大六天と言う神社が。
社殿の横の巨木が気になる。
正面から見るとこんな具合。
何の木かな?
行ってみたかったけれど、この日はパス。
圓林寺の門前に鎮座しているふれあい地蔵さんは、こんなマスクを。
手ぬぐいで作ったのかな?
チョット笑ってしまった。
注意喚起の中に遊び心が有り、そう言った心を忘れずに現在の欝々した世の中を乗り越えたいね。
お地蔵さんの足元には『ほろよい』が。
お地蔵さんも飲むのかな?
御嶽社(元三社神社)。
階段下から参拝して先を行きます。
相原八幡宮。
此処に行きたかったので、「そろそろバスが来る時間だな」と思ったけれど、バス通りから離れて寄り道。
『相原起番地之碑』
相原の名の由来が記されています。
境内の様子。
大きな木が目立ちます。
1832(天保3)年の石灯籠と狛狐。
社殿と右手に御神木の欅。
樹齢600年の欅で、この木が神奈川県の名木100選に選ばれていた木。
「倒れ、失われた」と言う記述もあるけれど、上部に焦げ跡があるし、その先の幹が折れて失われていますが、横枝に葉を茂らせているし、根元近くにも新しく会えてきた小枝が。
昔の巨大な姿ではないけれど、現在も生きています。
社殿の裏は境川で、柵の下に土嚢が積んである。
境川が増水いた際は・・・と思うと、心配になる。
昨年の台風15号、19号の時は何処迄水位が上がったのだろう?
近くの増水時に水を逃がす遊水地と境川の境の柵には、木の枝が引っかかっており、堤防のすれすれの高さ迄水位が上がった事が見て取れたけれど・・・。
高座川(たかくらがわ)の碑。
「境川は元は高座川(たかくらがわ)や田倉と呼ばれていて、相模と武蔵の境として境川になったのは安土桃山時代の事です」と記されていました。
パン屋さんを発見して、御土産のパン3つを購入。
『パンの木』
と言うパン屋さんで、リンゴ丸ごと1個を使い、形もリンゴの形に作ったパンとクロワッサン、カレーパンを購入。
「このまま相原駅まで歩いてしまおう」
と決め、相原諏訪神社へ参拝。
境内の様子。
大きな木と木々の本数が多いなぁ~。
鳥居左の途中で伐られた木は、昨年の3月に安全の為に伐採された樹齢500年以上の欅。
伐られる前の姿を見たかったなぁ~。
社殿の様子。
左右に石塔や石祠が有り、左は稲荷です。
社務所はコロナ対策で閉鎖中と言う事が書かれていました。
8月第三日曜日の例祭で奉納される丸山獅子舞は町田市の指定無形民俗文化財で、近くの集会場横に『平成29年 奉納400年碑』が有りました。
見てみたいけれど、それ迄にコロナ騒ぎが収束するかなぁ~。
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