オーディオ&真空管の部屋

~気仙沼市で再起をかけるオーディオ店『ミュージック・クラブ&真空管』店主の奮闘日記~

震災遺構消散。

2015-06-09 14:23:12 | 日記
震災以降、気仙沼を訪ねてくれた知人、友人、ボランティアの皆さんをご案内するときには、鹿折にあった 共徳丸 や 小泉にある シーサイドパレス跡 に案内します。実際に目でみて感じていただける事が多いと考えたからです。共徳丸 は解体され、このシーサイドパレスのホテルもまもなく解体されます。今度の、日曜日がこのシーサイドパレスを見る事が出来る最後の日となります。

大盛りの大盛りの蕎麦美味し。

2015-06-09 14:16:53 | 日記
気仙沼から車で1時間一寸で行ける町にある蕎麦屋さんの蕎麦が大好きです。普通盛りが大盛りなので、大盛りを頼むと大盛りの大盛りとなります。この量が私が何とか食べられる量なのですが、この日は朝ごはんを食べずに行ったので、天婦羅付きにしました。おなかが減っていたので完食出来ました。

草取り。

2015-06-04 19:30:52 | 日記
昨日、仮設住宅の周辺の草取りが行われました。朝6時集合なので、其の時間に何とか起きて行きましたが、殆んどの方はもっと早い期間から草取りをしていました。後は 秋 にあるそうです。もう建物は在りませんが震災前の住所の自治会にも参加していますので5月にも草取りがありました。草取りが上手くなってきました。

模型飛行機少年。

2015-06-04 19:00:40 | 日記

私の子供の頃はラジオ少年(真空管ラジオ、市民バンド無線機、などを組み立てたりして遊ぶ少年たち。)や模型飛行機少年(Uコンやライトプレーンを作って、飛ばして遊ぶ少年たち。)がまだ生息していました。
私よりも前の世代では大変多くの子供達が様々な工作に挑戦し、色々と工夫をしながら電気工作、模型工作等の物作りを楽しんでいました。
私も模型飛行機少年でUコンを中心に模型工作を楽しんできました。
多くの仲間が、年齢を重ねるとともにバイクやファッションなどの趣味に移行していきましたが、極々一部の少年達は卒業することなく、50歳を過ぎても、70歳を過ぎてもラジオ少年、模型飛行機少年の「まま」で大きくなってしまいます。
私も、「まま」で大きくなってしまった方なので、仕事はラジオ少年関連、趣味は模型飛行機少年を今でも継続中です。
震災の時は子供の頃から必死に集めてきた40年分のコレクションが無くなってしまい、仕事だけでなく、全てが終わったと思いましたが、時間が経つにつれ少しずつ楽しみはじめました。
出張で他の町にに行くことがあると、何とか時間を作って模型店めぐりをします。
時々、子供の頃に見た模型に出会えることがあります。