MOCO'S

物を作ること、アートが好き。生きることを考えます。

音のイメージ

2016年08月07日 | その他
ララバイって、子守唄のことだったんですね。

子供を寝かしつけるときに、時々Over The Rainbow をメロディだけで歌います。
せっかく歌うなら歌詞を覚えてみたいと、
時々Youtubeを見ながら歌ってみるのですがなかなか覚えられない。
ララバイって単語はこの歌の最初の方で出てきますが
今まで意味を気にしてこなかった。
「ララバイ ララバイ おやすみよ ギザギザハートの子守唄」
と歌われていたのに今まで気づかなかった!
何だと思っていたかと言うと
「バイバイ」を想像していて
歌の雰囲気から、「切ないバイバイ」みたいな
意味に考えていたか。

自分が子供の頃には「反抗期」を
「飛行機の一種かな?」と思っていたこともあり
もしかすると、まだ意味を勘違いしたままの言葉があるのかも


仕事できない人間

2016年08月02日 | 生きること
自分でもわかっているけれど、私は残念ながら仕事ができない人間
もう何年も進歩がない気がする。
仕事のできる人には仕事が集まり、情報が集まり、
その結果役立つ人として成長していくけれど
そういう機会もなく、停滞。
自分でも自分には無理だなと思うので、あの仕事やりたいなどとも言えない。
今や育児休暇明け時短勤務では更に戦力外。
何かする度、自己嫌悪に陥って辞めたくなるが
育休貰っておいて辞めるわけにも。
会社勤め向いてないけど、
手芸とかで生きてく自信も気概もない
人生一度きり、いつか死んでしまうのだと
考えても、結局おんなじような毎日を過ごしてしまうのです

それでも何か作ることを
細くでも、長く続けていきたい。
自分の工房、アトリエを持って仕事するようなことを
思い描きながら。
自分が思い描きもしない未来は訪れないのだろうから。



ピアノの先生

2016年08月01日 | その他
昔、ピアノを習っていたが全然上手にならなかった。
週に1回、たった30分のレッスン。
マンツーマンではあったけれど、先生と話ばかりしていたという記憶はない。
だけど、先生が音大の"ピアノ科"出身を鼻にかけていて
"教育科"出身の人を、ピアノ科に入れなかった人として見下していたのを覚えている。
先生が「中村紘子の弾き方が嫌い」と言っていたのも覚えている。
先生は子供相手に何をしゃべっていたのだろう。中村紘子さんは亡くなられたとのこと、コンサートにも行ったことがないけれど、先生は何が嫌だったんだろう。
ピアニストだけで生きていってないことに対する不満のはけ口が
出来の悪い生徒だったのかなとか思う。

たった一度、代行で来た先生のレッスンが楽しかったことを今でも覚えている。
もしかして、子供だったからその先生(教育科出身)のレッスンが良かったと
素直に言ってしまって、教育科出身を馬鹿にするような態度につながっていたのかしら。
その後1度もその代行の先生が現れなかったのも、
先生が頼まなかったからかな。
私は、先生が違ってもピアニストにはなれなかっただろうけど、
あの代行の先生の楽しいレッスンを受けてたら
もう少し上達できてたかな

習い事は色々やったけれど
先生との相性は難しい。
私自身が、先生という職種が苦手になってるし
先生が教えたくなる、面倒見たくなる人間じゃないんだろうな。

実家のピアノも、今や売ってしまったけれど
いつか安い電子ピアノでもいいから
気の向くままに弾いたりしたい