MOCO'S

物を作ること、アートが好き。生きることを考えます。

アンパンマンで切なく

2018年01月25日 | 生きること
子供と一緒にアンパンマンのDVDを見ると流れてくるアンパンマンのマーチ。

"そうだ 嬉しいんだ生きる喜び
たとえ胸の傷が痛んでも

何の為に生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのは嫌だ"


この部分を聞いていつも切なくなる。

母を理不尽に奪われ、父喪い
胸の傷が痛んでも生きていることを喜ぶ
ということはまだできず
いずれ自分も亡くなる、それまで後悔少ないように生きていたいけれど
何をして生きるのか、まだ見つけられていないように思う自分の人生

そのようなことが心に引っ掛かり
この歌を聞くと心が痛む。

100歳時代

2018年01月24日 | 生きること
人生100歳時代と言われるようです。
しかし両親は、母が理不尽に命を奪われたことをきっかけに、平均寿命にも満たずに亡くなりました。自分も100歳まで生きられるとは到底思えません。想像できない。

年金支給開始を更に遅らせる話があるようですが
そんなに遅らせたら年金など貰えないままで人生を終えてしまいそうに思えてならない。
いや、そうして財源を残してくれることこそが国の思惑でしょうか。
私は早期から貰いたいです。一生懸命働いて生きてきたのにほとんど恩恵を受けずに亡くなってしまった両親を思うと。

正月疲れ

2018年01月22日 | その他

正月の諸々、遺品整理に少し疲れがたまってきたようでぐったりしていました。
子供たちの世話は休日の方が疲れる。
睡眠不足、ゆっくり入浴できない、部屋が片付かないストレス。
実家の蔵書を売ってしまったことが良かったのか、罪悪感。

私の通知表

2018年01月22日 | 生きること
遺品整理をしていたら私の小学生時代の通知表が出てきた。
毎年同じようなことが書かれている。「控え目」「積極性が欲しい」「自信を持って」というようなことが。
そうか、私の性格は小学生に上がるまでに出来上がっていたのだな。
今も変わらない性格。私のもともとの性格だとは思うものの、親の育て方のせいもあるのではないか。自分の子を育てる番になって、今は子供たちに大事な時期と思いつつも日々の大変さに追われ疲れてしまっている自分がいる。
私が目立たない子だったとしても、自信を付けてくれるような教育は出来なかったのか、と親に対して思わないでもない。しかし親にしてみれば「褒めるところなんてなかった」ということらしい。反面教師にして子育てしたいけれどそう上手くいくものでもないのだろうな。

私はいつも批判されていたという気がしていたけれど、母が亡くなった時に感じたのは「私は愛されていたのだ」ということだった。母は事故後一度も目を醒ますことなく、言葉を交わすことも出来なかったのに、そう感じたのだった。
私に対する親からの批判は、私が勝手にそう受け止めたこともあったのだろう。
私は相変わらず目立たず、自信もない、仕事も不出来だが、母を轢き殺した犯人や報道に出てくるような犯罪者のような罪人ではなく、仕事を持ち、家族を持ち、そこそこ人並みの人生を送れているのもまた両親のおかげなのでしょう。

ある人のいない世界

2018年01月12日 | 生きること
職業でもなく、普通に暮らしている人のうちどれくらいの人間が裁判なんかに関係するものでしょうか。
離婚の裁判とかも別にして。
初めて裁判所を訪れ、裁判を傍聴しました。被害者遺族と出廷して意見を述べることも可能でしたが犯人の前に立つ勇気はありませんでした。
遺族としては、裁判を傍聴する趣味なんてものはあり得ないものです。野次馬根性でよく見に行けるな、と。母の事件の裁判ではそのような人間はいないようでしたが、ニュースで流れる事故も、他人からは日々よくある事故のうちの1つにしか思われずすぐに忘れられてしまうのでしょう。


ある身近な人が突然居なくなった世界。もう何も見ることもできない、話す言葉もない、買い物のメモすら、もうこの先永遠に書かれることはないのです。