MOCO'S

物を作ること、アートが好き。生きることを考えます。

掃除不要論

2024年07月16日 | 生きること

三連休の間、家族はお菓子を食い散らかし、片付けや掃除をすることもありませんでしたが、なんとかやり過ごしました✋

我が夫は朝起きるのが遅いです。

夜更かしを止めないので当然です。

子供の1人が朝6時には起きてくる早起きのため、夫が朝10時に起きると、それまでに私は疲れ切ってしまいます。

夫は一応9時台には起きるようになりましたが、起きてもリビングでゴロゴロしていて私にはあまり意味がありません。

私が時々朝から出かけると、10時には既に公園で遊ぶ子連れの父親を見かけてため息が出ます。

比べてはいけないと思いつつ....

朝から夫が子供達と出かけてくれたら掃除出来るのにな、と思います。夫が子供と出かけるのは、基本的に午後からで、夕方になるとこちらも掃除する気力が残っていない。

朝私が子供達と出かけたからといって、夫が掃除してくれることはありません。

なぜなら夫は掃除が必要とは思っていないらしく、ゴミだらけでも全然平気なのです。

もしかしたら掃除したくないからゴミを見ぬふりをしているかもしれないですが。

掃除も出来ていませんが、そもそも片付いてもいません。

掃除も片付けも、夫には不要なことです。どうせもとに戻るから意味がないそうです。

夫はやらない、妻は疲れているからと外注したいのですが、夫は意味がないことにお金を払うのが無駄と言い、外注に渋い顔をされます。

仕方がないので、隙間時間に私がやるか、隠れて外注するという方法しかなく、ストレスを感じます。たまに子供達も手伝ってくれますが、やらない見本(夫)がいるので、なかなか動員も上手くいきません。

夫の掃除の仕方が甘くて嫌だという話はよくありますが、そういう夫さんは、掃除の必要性は肯定されているのだと思います。

掃除や片付け自体を不要と考える人にはどう対応したらよいのでしょうか?!


幸せになりたい

2023年12月06日 | 生きること

夫はいいよな。

育休、時短も取らず、有給休暇すら取らず大変な乳児の時期を妻にお任せ。

育休はもう終わりましたが、子供達と私の3人のうち誰か死んでしまうかも、と何度も思いました。

子供が道路に飛び出して1人死ぬかも、

飛び出した子供を助けに行って2人死ぬかも、

しんどくて意識朦朧と歩いて3人共轢かれて死ぬかも、と。

夫はいつも携帯電話を見ていないため、電話が繋がりません。

だから死んでも気づかず、駆けつけることもないのだろうとも思っていました。

妻は体も回復せぬまま時間を削るが、夜9時に帰宅して余った時間で何かして、

「オレだってやってる。」「仕事は休めない。」ですませて。

 

そのようなことをいくら思っても楽にならないので、

家事代行を頼もうとしても「高い。」「自分でやればタダ。」と曰う。

夫の言う「自分でやれば」は「妻がやれば」と同義。

 

一番の問題は感謝もねぎらいも、一切なく、思いやりが感じられない、

結局大切にされていないということなのでしょう。

家が片付かない、育児が大変とかのストレスに、そのことが上乗せされて重くなり

自分がやって死ぬまでこき使われるか、もう諦めるしかないのか。

やれることすら手につかなくなる。

日々に追われ、自分のしたいことはどこかへ消え去り、

自分の人生を生きることは何と難しいのでしょうか。


愚痴

2023年08月23日 | 生きること

毎日、夫の嫌なところしか見つけられずイライラする。良いところがというと車の運転をしてくれるところくらいだが、黄色信号でよく渡ったりするので子供達にはよく注意されている。

いつか事故を起こすのではないかとハラハラするのだが、本人は大丈夫と思っているところが、また危なく感じられる。

家はお安く建ててしまったため、収納不足、使いづらくイライラする。テーブルはいつも物置状態で埋まっている。

夫が大好きなコタツだが、夫が管理することはなく、物を少し片付けたら捨ててやる!と思っているが、片付けは進まない。元々片付けは苦手。夫は片付けも掃除も必要と思っていないので任せるのも無理。

「ママだけががんばらない片付け」的な広告がよく出てきてしまうが、でもやっぱ最初に頑張るのはママなんだよな~出来る気がしない。

夫が休日に子供達連れて遊びに行ってくれたらもう少し時間ができるのにと思うものの、外出するかは当日にならないとわからない。しかも基本的に午後だし。

外出したとしてもお菓子かおもちゃの買い物。お菓子も安いならOKで駄菓子を買ってきて、家でゴミが散乱するので私は毎回捨てろ捨てろと言い続けなければならない。おもちゃも、安かったら買ってくれるので、くだらないガチャのおもちゃなどが増える。子供達が覚えるのは、欲しいものを買うためにお小遣いを貯めることではなく、大して欲しくなくとも安けりゃよい、安さが一番、欲しいものがわからない、などに思える。それが嫌なら自分が行くしかないし、そもそもパパとだけだと出掛けたがらなったりする。

愚痴でした。

 

別邸がもっと簡単に手に入れられたら、ママの家を買って自分だけの家を作りたいなあとか、夢。


高い星人

2023年01月10日 | 生きること

夫の貧乏症、だけど倹約家ではないことにイライラしている。

外食は「高い」からしたくないらしく、

すぐになんでも高い!とうるさい。

レストランでは安くて量が多くないと全て「高い」となり、立地もサービスも材料も関係なく口癖みたいなもの。一緒にご飯を食べに行きたくない。

すぐ「スーパーで買えば何円」とか言い出すので楽しくない。

かと言って、部屋の電気は消さないし、腐りかけのイチゴを割引で買うのは好きでも、その後ほぼ捨てることになって高くつくのは気にならないんだ。

大量で単価が安いものを買うのが好きだけど、1つしか使わなくてもお得と思っているらしい。

その後使わない物が置き去りにされる、収納場所を考えずに買われるのも地味にイライラが募り、「オレは平気」というのもイライラする。

オトクなポイントを集めることにも、集まったポイントを忘れて捨てることになることにも無関心、割引クーポン券や地域プレミアム振興券なども無関心。

すぐに「自分でやればタダ」というが、やらない。

真意は「妻がやればタダ」ということだ。

そんな高い高い夫にイライラするのだった。

結局、自分がそんな夫と多分釣り合っているのだと思うと自分自身にもイライラする。

なんだかなあ(涙)


自分を受け入れること

2022年10月11日 | 生きること

自己肯定感に関する本などには、「ありのままの自分を認める」とか「そのままの自分を受け入れる」ということが書かれています。

未だに「受け入れる」とはどういうことなんだろうなどと思ってしまうのは、きっと受け入れられていないからだと思うのです。どうやったら受け入れたことになるのだろうか、と疑問に思ってしまう。自己主張が苦手なところとか、人の目を気になって結局自分がどうしたいかよくわからないとかのコンプレックスを抱え、何か悲しい思いをするたびに割り切れない気持ちになる。どうすれば改善できるのかもわからないが、拘ってしまうのはきっと諦めきれていないのだ。受け入れるということは、おそらく仕方がないと投げやりに諦めることとも違うし、改善しようとしないこととも違うのだとは思うのですが。

人を値踏みし、ないがしろにする身近な人々に嫌悪したり、偉そうな人やお金持ちが偉くなっていく社会に暗い気持ちになったり、はたまたそういうことに自分が加担していないとも言い切れない。

どうやら人があまりいない場所にいたほうが平和に過ごせる気がするけれど、子供を放って家を出るわけにもいかず、いや子供がいなくてもどこかへ向かう勇気も便利な街を捨てる勇気もなく月日が過ぎる。

そして最大の問題は、こんな私に育てられた子供達が、この世を生き抜いていく力を持てるのかどうかだ。