最近“ロードオブザリング”3部作をDVDで立て続けに観ました。そのスケールの大きさとド迫力の映像には正直度肝を抜かれました。
長い上映時間はちっとも気になりませんでした。まさに一級のエンターテイメントですね、あれは。アカデミー賞受賞も頷けます。
それにしても、あれだけ引っ張っておきながらあの悪い王様(名前忘れた)の最期は随分とあっけなかったですね。友人達も皆、あれは唯一期待はずれだったと言ってました。
でも、考えてみると話の筋はごく典型的な勧善懲悪モノなんですよね。
世界制服をたくらむ“悪”に、善意に満ちた“正義”の人々が力を合わせて立ち向かい、これを打ち負かすという非常にオーソドックスなストーリーだと思います。(もちろん、いろんなエピソードが盛り込まれているし、登場人物の関係も複雑なのでそんなに単純ではないぞという向きもおられるでしょうが、、、)
それにしても、こういう勧善懲悪モノってどうしてこんなにウケるのでしょうかね。
そして、壮絶な殺し合いのシーンに人々があそこまで熱狂してしまうのは何故なんでしょうかね。
(自分も大いに熱狂したくちですからあまりデカイことは言えませんが)
勧善懲悪のストーリーに必要なのは絶対的な“悪”の存在です。“悪”は冷酷非道でなくてはなりません、もし“悪”がほろっとした人間性の欠片でも見せようものならその時点でその脚本は三流作品に成り下がってしまいます。
そして、ヒーローはどこまでもカッコよく描かれていなくてはなりません。ヒーローには無様な死は似合わないのです。
戦闘シーンだってそうです。勇猛果敢に戦う男達をカメラはどこまでも美しくとらえようとします。うしろに累々と築かれる死体の山には誰も目を向けようとはしません。
リアルな戦争はそんなもんじゃないだろーなんてことはみんな知っているはずなんですが。
話はとびますが“スター・ウォーズ”でデススターが吹っ飛んだ時、あのなかに何人の子供達がいたのだろうか、などとは誰一人考えませんでした。(映画なんだから雰囲気壊すようなこと言うなよーといわれるかもしれませんが)
結局自分達はみんな正義の側に立っているんです。正義の側に立つ我々が非人道的な行為など犯すはずがないのです。悪人どもが何を言おうがなにをやろうがそれは悪の行為であり、悪人の家族も子供もみんな悪人なのです。そして悪人は無様に死ぬべき存在なのです。
“ザマー見ろ!さっさと死にやがれー、悪人どもよ!”ってな感じなのでしょう。
またまた話は変わりますが、広島に原爆が落ちたあと、アメリカ軍は現地へのジャーナリストの立ち入りを厳しく規制しました。この規制の網をかいくぐって何人かのジャーナリストが現地への潜入に成功し、広島の惨状を世界に向けて発信しました。
しかし、原爆報道でピューリッツァ賞の栄誉を勝ち取ったのは彼らではなくウィリアム・ローレンスという広島に一歩も足を踏み入れることのなかったアメリカ人記者だったのです。
ローレンスは「原爆の放射能被害など嘘っぱちである」という記事を書きつづけます。
アメリカは“正義”だ。日本は“悪”だ、“悪”は無様に死ぬのが当然だ。彼はそう言いたかったのかも知れません。
なぜ彼の報道がピュリッツァ賞を獲ることになったのか詳しい事情はわかりませんが、きっと彼もロードオブザリングやスターウォーズを観て熱狂する観客たちと大してかわらない、純粋で無邪気なメンタリティに支えられていたのかもしれません。
この記者の話は“暗いニュースリンク”でチェックできます。是非一度読んでみてください。
長い上映時間はちっとも気になりませんでした。まさに一級のエンターテイメントですね、あれは。アカデミー賞受賞も頷けます。
それにしても、あれだけ引っ張っておきながらあの悪い王様(名前忘れた)の最期は随分とあっけなかったですね。友人達も皆、あれは唯一期待はずれだったと言ってました。
でも、考えてみると話の筋はごく典型的な勧善懲悪モノなんですよね。
世界制服をたくらむ“悪”に、善意に満ちた“正義”の人々が力を合わせて立ち向かい、これを打ち負かすという非常にオーソドックスなストーリーだと思います。(もちろん、いろんなエピソードが盛り込まれているし、登場人物の関係も複雑なのでそんなに単純ではないぞという向きもおられるでしょうが、、、)
それにしても、こういう勧善懲悪モノってどうしてこんなにウケるのでしょうかね。
そして、壮絶な殺し合いのシーンに人々があそこまで熱狂してしまうのは何故なんでしょうかね。
(自分も大いに熱狂したくちですからあまりデカイことは言えませんが)
勧善懲悪のストーリーに必要なのは絶対的な“悪”の存在です。“悪”は冷酷非道でなくてはなりません、もし“悪”がほろっとした人間性の欠片でも見せようものならその時点でその脚本は三流作品に成り下がってしまいます。
そして、ヒーローはどこまでもカッコよく描かれていなくてはなりません。ヒーローには無様な死は似合わないのです。
戦闘シーンだってそうです。勇猛果敢に戦う男達をカメラはどこまでも美しくとらえようとします。うしろに累々と築かれる死体の山には誰も目を向けようとはしません。
リアルな戦争はそんなもんじゃないだろーなんてことはみんな知っているはずなんですが。
話はとびますが“スター・ウォーズ”でデススターが吹っ飛んだ時、あのなかに何人の子供達がいたのだろうか、などとは誰一人考えませんでした。(映画なんだから雰囲気壊すようなこと言うなよーといわれるかもしれませんが)
結局自分達はみんな正義の側に立っているんです。正義の側に立つ我々が非人道的な行為など犯すはずがないのです。悪人どもが何を言おうがなにをやろうがそれは悪の行為であり、悪人の家族も子供もみんな悪人なのです。そして悪人は無様に死ぬべき存在なのです。
“ザマー見ろ!さっさと死にやがれー、悪人どもよ!”ってな感じなのでしょう。
またまた話は変わりますが、広島に原爆が落ちたあと、アメリカ軍は現地へのジャーナリストの立ち入りを厳しく規制しました。この規制の網をかいくぐって何人かのジャーナリストが現地への潜入に成功し、広島の惨状を世界に向けて発信しました。
しかし、原爆報道でピューリッツァ賞の栄誉を勝ち取ったのは彼らではなくウィリアム・ローレンスという広島に一歩も足を踏み入れることのなかったアメリカ人記者だったのです。
ローレンスは「原爆の放射能被害など嘘っぱちである」という記事を書きつづけます。
アメリカは“正義”だ。日本は“悪”だ、“悪”は無様に死ぬのが当然だ。彼はそう言いたかったのかも知れません。
なぜ彼の報道がピュリッツァ賞を獲ることになったのか詳しい事情はわかりませんが、きっと彼もロードオブザリングやスターウォーズを観て熱狂する観客たちと大してかわらない、純粋で無邪気なメンタリティに支えられていたのかもしれません。
この記者の話は“暗いニュースリンク”でチェックできます。是非一度読んでみてください。
ブシュの終わりってことでしょうか。
話かわりますが、WASHINGTOND.C.の質問です.
ナポレオン戦争のドサクサに、英領カナダを攻撃したアメリカが逆に英軍に負けて、大統領官邸を焼かれ、後に白く塗り直したのが、ホワイトハウスの由来と聞きましたが、その痕跡、見学コースにありますでしょうか。 どうか教えてください。
こんにちは。
ヒステリックな人道主義者のナイーブな発言のように聞こえたかもしれませんね。
その場で感じたことをそのまま書きなぐっているのでときどき“おやっ?”っていうことも言ってますが、まあお許しください。
ただ正直、僕は“拠らしむべし、知らしむべからず”っていう思考にはやはり違和感を覚えてしまうんですよね、U-1さんはどうでしょうか。
まあいろいろ問題はありましょうが、冷静で客観的な、物事を見極める力だけは持っていたいなーと思います。
ところで、ホワイトハウスの見学は私の知る限り9.11以降、現在もごく一部の特別な人を除いて許可されていないので、実際のコースの内容はよく分かりませんが、今度知人にでも聞いみようかと思います。わかったらまたお知らせします。
「悪を肯定するのか」と言われるのを覚悟で言うと、悪人を嫌悪するのは、自分自身が持っている影(悪)の部分を悪人に投影しているせいと言われていますので、悪い部分を含めた自分自身の心を歪めずに見つめ直すことが、この無邪気な勧善懲悪の心情を抜け出す為の一つの出発点になるのではないかと思います。この回答も無邪気過ぎるかもしれませんが。
先日、日本で死刑執行が行われましたが、死刑制度存続を望む世論、死刑廃止論者の中にある、死刑廃止を強く主張しづらい心情(犯罪被害者や遺族への同情)もkazu-nさんの今回の記事に関連があると思います。
結局、葛藤しながら、一生かけて考え回答を出していく課題ということでしょうね。
指輪物語を書いたのはトールキンという人で
彼と、私の敬愛するC.S.ルイスはオックスフォードで
クリスチャンの集まりをしていました。
そんな中で、聖書の世界をファンタジーという
形で描けないか・・・という発想の中で、
ファンタジーか、SFか、でくじ引きをして
トールキンはファンタジーが当たり、指輪物語を、
C.SルイスはSFが当たり、Silence of planetを
書いたそうです。
ちなみにその後、C.Sルイスは聖書の世界を
ファンタジーとしてあらわすことを
ナルニア王国物語で成します。
原作もながーいんですけど、
そういうバックグラウンドを知って読むと
読めちゃったりします。
ちなみに映画は、そういう観点から見ても
私は良く出来ていたと思っています。
ただの勧善懲悪作品じゃないところが、深いところじゃないでしょうか。
“罪を憎んで人を憎まず”という訳にはなかなかいきませんね。特に事件が凶悪であれば尚更です。“被害者側の気持ちになって考えたことあんのかよ!”と一喝されたらなかなか反論できませんものね。
そういえば、森達也が麻原章晃の裁判を傍聴に行ったときの話も何となくこれに似ているように思えます。
森が見る限り、法廷での麻原は完全に心神喪失状態にあるとか。正常の会話が全く成立しないし、突然叫んだりぶつぶつ独語をつぶやいたり、、、おまけに裁判官や弁護士の問いかけにも全く反応できない状態にあるというのです。自分で立ったり座ったりもできないのだとか、、、
もちろん、麻原が演技している可能性も否定は出来ませんが、実際の法廷では“麻原に精神鑑定が必要なのでは?”と言い出す人は誰もいないのだそうです。
みんな、麻原が公判を維持することはもはやできないかもしれないと薄々気が付いていながら誰もそれを口に出さないのだそうです。もちろんそれを取り上げるメディアもいません。
何故なら、もし彼が本当に心神喪失状態であることがはっきりしてしまうと、もはや彼を死刑にすることが出来なくなってしまうからです。
彼には絶対に死刑になってもらわなければ困るというのが社会の要請なのでしょう。
この話をきいて背筋が寒くなりました。
ダイアンさん。
コメントありがとうございます。
そうなんですか、全然知りませんでした。
聖書の世界に通じてるんだ。おもしろそうですね。ってことは(あほなことを聞くようで恐縮ですが)聖書の世界ってロードオブザリングみたいな感じなのですか?
ちなみにそのC.SルイスのSilence of planetっていうのも翻訳があるんですか?読んでみたいですね。
すみません。上のとこカットください。
>拠らしむべし、知らしむべからず
抽象的でよくわかりません。世界中のメヂアがいっせいに...の所でしょうか。
見学コース、よろしくお願いします。旅行計画中です。
聖書の世界をベースに書かれているので、ある意味そうでしょうね。
私はロード・オブ・ザ・リングを観て、
「あーこれって聖書のあの部分を思いながら書いたんだろうな~」みたいな楽しみ方を
しました。だから、反対も当然あるでしょうね!ふふふ。
アメリカ旅行を計画中ですか?ワシントンDCにも立ち寄られる予定ですか?
残念ながらホワイトハウスは書きました通り、現在一般の見学はできません。ホワイトハウスのHPによると、見学できるのは国会議員の推薦を受けた10人以上のグループで、且つ見学日の6ヶ月以上前に予約しなければならないのだそうです。
従って、アメリカの国会議員に知り合いのいない方は門の外から眺めることしか今は出来ません。
まあでもスミソニアン博物館やナショナルアートギャラリーなどを見て歩くだけでも楽しいと思います。
こられる時は教えてくださいね。といっても11月にはテキサスに引っ越す予定なので、それまでに来られる場合に限られますが、、、
(おっしゃっていた焼き討ちの跡が残っているかどうかは、知人に聞いてみますからもう少しお待ちください)
それから、“拠らしむべし、知らしむべからず”ですが、説明不足ですみませんでした。
まさに「世界中のメディアがいっせいに、、、」の部分のことです。
ちなみにこれは孔子の言葉だそうで、
もともとの意味は「国家と言うものは、国民が専門的な知識を勉強せずとも安心して頼れるような政治を行うべきだ」ということらしいのですが、現在では
「肝心なことは国民に知らせず、国家の言うがままに操っていればいいのだ」という政府の独善的考え方を指して使われます。
国家が何をやっているかを国民は知る権利があるし、時として悲惨な情報であっても勇気をもってこれを知り、受け止める努力をする必要があるのではないかと言いたかったのです。