今日は、センター試験の日だったのですね。
子供は二人しかいないのに、通算で、センター試験を4回。
でも、4回目のsatonekoの試験は、AO入試で合格が決まっていたあとだったので、
何も気合い入らず。ただ受けただけになってしまった。
1年目は、ほんとに何もわからず、
前期と後期の願書を一緒に出すことさえも知らなかった大学受験。
高校入試のように、もし、こっちがダメだったら、次を考える
では、済まなかった。
分析が足りなかったし、本人の実力を過大に評価していたこともあって、
散々な結果で、
センター後の自己採点の点数を聞いて、
”浪人”を決めてしまったような状況だった。
そして、
予備校も、多くをリサーチすることなく、
東京の有名大手予備校への入学を決めた。
予備校へ入れさえすれば、大丈夫だろうと思っていた。
結局、本人の気持ちとか、
本心とか、志望校変更とか、
何も相談を受けることなく、
あの時期をもっと大事にしていれば良かったのかもしれないのに。
父親の自宅からの通学ということで安心していた。
でも、その年も失敗!
とにかく
センターの点数が取れなければ、難関大学の門をくぐることもできない。
足切りにあって試験さえも受けれないのである。
ランクを落とすということは、
二次試験の勉強をしていない大学を受けるということにもなる。
予備校の○○大学コース
というのに通っていたので、
多分 別の大学の二次試験の勉強はしていなかったのではないか
と、今更ながら思う。
どれが正しかったのか、わからないけど、
多分、次年度から通い始めた宮崎の予備校「北斗塾」のほうが彼には合っていた。
もし高校卒業後東京へ行かせず、北斗塾に入れていたならば・・・
と後悔もした。
何が一番良かったのかは、塾長がpikaruのことを認めてくれていたこと。
「君は社長になれるよ」
口数も少なく、人づきあいも下手なpiakruのことを、ほんの少し話しただけで、そんな風にみてくれるなんて
とびっくりした。
センター試験後の、願書提出時期に塾長とお話ししたとき
「あの子、後期はどこでもいいよ って言うんですよ。真剣に考えてくれなくて
・・・」
と私が言ったとき、
塾長は、
「いや、そうだと思います。彼は、前期でダメだったら後期で同じとこは受けれない(後期の倍率は高すぎてとおらない)ってわかってるから、 あとはもう言いなりになるよ って意味だと思います。私でも同じ考えかな、彼の気持ちはわかります」
とおっしゃった。
びっくりした。そんな考え方もあるのかと。
3回目のセンター試験。
雨が降りそうな寒い日だった。
会場は暖房が入らなくてかなり寒かったとあとで人から聞いた。
pikaruは厚着もしていなければホッカイロも持ってなくて、休憩時間が長いから車の中で待機すれば良かったのに
連絡もしてこなかった。
あとで聞いたら、お弁当も食べていなかった。寒くて食べる気がしなかったし、食べる場所もなかったと。
「なんで電話しないのよ
すぐ迎えに行ったのに(自宅から近いんだから)」
と言ったけど、終わったあとだった。
「ヒアリング、もう少し点数取れてもよかったね」というと、
「よく聞こえなくてね」
(聞こえないときは手をあげて知らせてください ってなってるでしょうに・・・)
と、思ったけど声にしなかった。
「そっか」と答えた。
そんな子なのです。彼は。
前期の3年かけて目指したH大学は無理だったけど、後期でYK大学に合格しました。
私は、十分だと思いました。初めから、難関大学でなくても良かったのにと。
この春、北予備が、宮崎に開校するらしいですね。
pikaruは、1年目、駿台予備に通っていました。
高校の補習科もいいと思うし、もしも・・・浪人することになったときは、
本人の希望と合う学校を見つけてあげたらいいと思います。
高校選択のときも、もっともっと情報を集めて、自分のやりたいことができる学校を選べば良かったね。
たくさんの挫折を味わってきたpikaru。
でも、きっと私は彼の苦労を、心の葛藤を、10分の1も知らないのかもしれない。
欠点ばかりが目についてしまう。
マメに連絡くれるsatonekoと違って、心配ばかり・・・
とにかく、2月には上京しよう。
会って話がしたい。