もう1年以上前になるが、知り合いにスマホで写真を見せていたときのこと、妻の写真も見せてしまった。
知り合いは「XXさんの奥さん、美人じゃあないですかあ」「え〜、ウソ〜、ほんとキレイですよ」と写真に食いついた。
妻が美人かどうかは人の好みもあるだろうが、妻はどうもそういう評判を受けてきたらしい。妻に知り合いが「美人だと言ってたよ」と伝えると、当然という顔をしていた。そこで、すかさず僕は妻に「オレは思ったことないけどな」と。
妻怒りながら笑う。
実は妻には申し訳ないけれど、「オレは思ったことないけどな」は本音だ。それに女性の容姿へのこだわりなど、とっくにない。
僕が妻の顔を見て思うのは、笑顔が素晴らしいことと、それにもかかわらず、どこかに悲しみが宿っていることである。ふとした瞬間に顔に悲しみがあるのに気づかされてしまうのだ。
どのような人間の内面にも悲しみが存在しているのではないかと、僕は考えている、というか知っているとさえ言いたいぐらいだ。妻の悲しみが現象となったのは最愛の父親を病気で亡くしたことだろう。その悲しみを抱えて生きているのだと思う。普段は意識しないにしても。
心の底に悲しみがあり、普段は忘却しているが、そこから生じた、あるいは受け入れなければならなかった現象としての父親の死、その悲しみ。妻に宿っていると思う。だから、愛しいのだろうか。
ずいぶん恥ずかしいことを語っているが、匿名のブログなので、お許し願いたい。
人間が悲しみを抱えて生きているというのは人間の存在論になるような気がしている。逆説的に表現すると、そうAIには悲しみはないってなるかな。
ひょっとしたら、妻は僕の悲しみを捉えているのだろうか?
そんなことをふと考えたりした。