Drマサ非公認ブログ

はじめて入院した16

 ある朝、医者が「急性期の透析をやろうと思う」と私に告げて来た。腎臓の機能が弱っており、血液中に老廃物が溜まっているので、取り除きたいからだという。

 いわゆる人工透析は週に3回で1回4時間程度かかる。入院した最初の日に透析の話を医者からされたが、明確に拒否したという経緯がある。その時に医者は最悪の場合を想定した場合とのことで、念のために私に告げて来たということだった。まあ、そのぐらいひどい状況だということなのだろう。

 ただ、どのような理由であれ、人工透析患者になれば、人生の一部を透析に奪われる。その結果、人生全体を奪われるようなこともあると思う。もちろん、現在人工透析を行い、闘っている患者もいる。彼らの人生が意味のないものだという気など微塵もない。

 しかしながら、主体は私である。いや、実際はそうじゃないかもしれない。そこで哲学的な議論は割愛しておくが、インフォームド・コンセントなんかにも表れている患者主体の医療という意思が医者からは感じられないような気がする。

 マニュアル通り、「この数値なら、ハイ、次は人工透析」としているだけのような気がしてならない。実際、国が定めた血液透析導入基準があるので、私の人生という代替不能な、かけがえのない生の意味を考慮せず、ただ基準を当てはめているのだと思う。まあ確かに私ごときの生がかけがえのない生かといえば心許ないのだが。

 このような人工透析と違って、今回の医者は急性期の透析であり、2〜3日で済むとの説明である。心不全と同時に腎機能が弱まっているので、血液中に老廃物が多く、その“掃除”をするためということだ。

 首からカテーテルを通して、そこから血液を取り出して、透析の機械に通す。そうすると、血液を生食で洗い、体に戻すということだ。実施してもらうことにした。朝告げられたが、カテーテルの処置は夕方で、それまで透析の機械が我が病室に運ばれてくるという。

 午後、透析の機械をMAが運んで来た。結構大きい。小型の冷蔵庫よりは大きい。そこでMAと少しばかり話をして見たが、この透析はそんなに多くはないけれど、この病院では結構行われている。丸2日はやるのが普通だが、その後死ぬまで透析するということとはあまり繋がらない医療措置だと思うと。透析後、彼らは生食を変えたり、一定時間ごとに機器のチェックにやって来た。

 夕方、医者がやってくる。「じゃあ、はじめましょうか」と結構気楽な感じである。カテーテル処置はよくやっているとのこと。看護師が3人ぐらいやって来て、手術用といっていいような青い医療着で頭にはキャップを着けている。もちろん医者もだ。

 僕の顔にタオルをかけて、局所麻酔をして、首にカテーテル用の穴を開けてるのだが、全然痛くもない。本当に上手なんだろうと思うというか、体験したこともないので、不思議な感覚である。首元でサワサワ何かしているという感覚しかない。医者が相変わらず色々感想を述べつつ処置しているのが印象に残った。30分はかかっていないと思うが、難なく終了。透析の機械と僕は繋げられた。

 両腕には点滴がなされており、首から血を抜いて、その血が戻ってくるチューブを付けて、ここに“完全な患者”の完成である。スタッフがいなくなってから、思わず妻に写真を撮ってもらった。本当に病人である。チューブには血が流れている。濃いトマトジュースみたいだ。機械には透明なボトルが付いているのだが、そこに血が溜まっているように見える。腕も首も機械に繋げられた不思議な生き物という感じであった。

(つづく)

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