たまたま通りがかったお寺さんの掲示板に目が行った。次のようなことが書いてあった。
人間は、
自分の思い通りに
ならないといって悩み
自分の思い通りに
しょうとして苦しむ
浄土真宗のお寺であったと思う。親鸞聖人の教えからくるものだろうから、僕の心にも響いたというか、思い当たる節があると、気に留まったのだろう。
特に他人を見ていて、確かにどうしようもないとか、不道徳であるとか、なんでこんなことができないのかと思ってしまう。
そこで、自分を他者より上位の存在であるかのように位置付けていることがわかる。そこで、その他者に「こうして、ああして」と指図する。それが彼女/彼のためであるかのように装いながら。
その実、多くは他者を自身の都合で操作し、観念的な服従を強いているだけなのかもしれない。「俺の方が頭がいい」とか「あたしの方が物事理解している」そんな思いを隠しながらも。
そして、他者がうまくできなければ、そのできなさ加減に苛立つ。それは思い通りにならないから。
そもそも他者は私とは別の存在。思い通りになるなら、それは私自身であるだろう。いや、それだって、つまりは私自身だって、私の思い通りになることなど、ほとんどない。
僕自身が最近、同僚を見て、メンタル弱いと思い、一言発してしまった。励ますようなアドバイスのようにも見えるような気もしただろうが、その実僕の思い通りにしようとしだけだった。
メンタル弱いって、一昔前なら、気が弱いってだけだったし、彼は気が弱いだけだと反省する。
そう、いい気になってったてことを自覚しました。上から目線だったのです。彼を僕の浅はかな考えで操作しようという、他者に向けた権力行為だったのです。
反省。改めたいと思う。また間違うとも思う。なんせ煩悩から完全に逃れられるほどの人間ではないから。でも反省はできるとも思う。