当時僕が配達していた地域は、有名な売春地帯であった。コロンビア、タイ、フィリピン、韓国などの女性が立ちんぼをしているのである。確か韓国はおかまが多いとの噂であった。コロンビア人が特に目立っていたと記憶している。
今は有名な韓国街で、韓流アイドル好きが集まる場所なので、その面影を感じることはないだろう。
夕方4時過ぎ、彼女たちが通りに出てくる。ちょうど夕刊配達と同じ時間帯である。配達していると、女性たちに声をかけられて、ラブホテルに入っていく男性たちがいる。それを尻目に新聞配達だ。
そういえば思い出した。当時有名なAV男優の山本●●さんを見かけたことがある。この通りを通っただけだが。
当時国際通りと言っていた。朝刊時、つまり朝5時ごろだったか、彼女たちは仕事を切り上げる時間である。面白いことに、僕たちが新聞を配る時間が、彼女たちの“出勤”“退勤”と重なっていた。
国際通りの奥に公園がある。特にそこに彼女たちが集まっていた記憶がある。さすがに新聞配達なので、彼女たちも僕たちを気にすることはない。こちらも、当たり前になっているので、気にもしなくなっている。警察官が近くを通ると、この公園を中心に情報が流れ、共有される。まあ、警察は当然見て見ぬ振りである。
この様な光景を当たり前のこととして受け止める様になってしまうのは、今考えたら、決して褒められたものではない。あらゆることが日常化して、疑問として立ち上がらないのは、人間の意識がいかに信じられないかということだとも思っている。
そんな日常が持つ社会性(社会の問題)が、ただ問題だというだけでなく、そこにまた本当に日常もあることを知ったこともあった。
朝5時過ぎ、面白いことがあったことを記憶している。新聞を配るため、自転車を立てかけ、少し走ったりすることがある。その時も、そういう作業である。自転車に戻ってきたら、後ろの荷台に女性が乗っかり座っているのである。女性は僕にこう言った。「家すぐ近くだから、送って!」。酔っ払っていることはすぐわかった。
僕は彼女の言葉に乗っかった。ノリのいい僕。「OK~」。彼女「Go!」。こんな感じであった。本当に数分乗せたところで、「ここ!」と言われ、自転車を止めた。彼女は建物の中に消えていった。
なんだか変な思い出というか、記憶である。多分コロンビア人だったと思う。彼女は次の日、僕に缶コーヒーをくれた。なんか忘れられない。