れいわの大石あきこさんがバズっている。維新の体質を浮き彫りにして、それを庶民的な言葉で皮肉や揶揄を込めて批判している。
民衆とは、時の権力などに対して皮肉を込めて語ることができる人間だ。かつて社会学者の栗原彬が言った民衆理性とは、こういうものだ。
Twitter参照。
先日の街頭演説で #文通費 について#大石あきこ の本音を語りました🎤
— 大石あきこ れいわ新選組 衆議院議員(大阪5区) (@oishiakiko) November 25, 2021
いいとこどりした動画ぜひ見て欲しいです!
ロングバージョンは #れいわ新選組 の
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(staff更新) pic.twitter.com/06T08sOe4g
さて、ここでは維新が的になっている。でも、日本の政治家の目的は、原資を国民の税金とする給料、政党交付金、文書交通費などを手に入れることなのではないだろうか。つまり彼らの仕事は税金をせしめることである。
もちろん税金は公的なことに使われなければならない。議員はそういう公的存在である。しかしながら、この税金を使って、公的なことではなく、私的なことに使うことが主となっていると思う。もちろん彼らも生活があるわけだから、それは給与となっているわけで、他はあくまで公的なことに使われなければならない。つまり国民に使われなければならない。
維新がやっていることは、この税金を懐に納めるビジネスである。政治(国民の生活をよくすること)をしているのではなく、この政治の領域をビジネスと捉えることである。手法は、主に政党交付金を手に入れること。それらを維新内で還流して、あたかも上納金を納めるような、マネーロンダリング的な手法である。
今回吉村大阪知事に関して露見したのが、文書交通費の不正ではないがやり口に問題がある手法で、さらに維新関係に寄付する形であるが、そのお金は維新のお金として政党交付金らと一緒になり、おそらくは吉村知事に戻ってくる。そんなところだろう。だからお金を還流させ、お金を綺麗にしてというマネーロンダリングのようである。
多分自民党も同様のことをしているのかもしれない。
だから、大石あきこさんの民衆理性は、このインチキさに気づき、そこに皮肉や揶揄を含めざるを得なかったのである。なぜなら皮肉こそ民衆理性の表現であるからだ。なんかじゃりン子チエが公務員になって、喧嘩して、政治家になったという感じだ。