先日友人の同僚-この病院で働くスタッフの1人-がコロナの濃厚接触者になったという。そこでこの医療専門の請負会社のマニュアルに従って、自宅待機してもらうことになった。
濃厚接触者に該当するか否かは、自分たちで判断するのか、保健所の判断かよくわからない。「濃厚接触者の定義がよくわらないよ」と友人は漏らしていた。ちなみに友人がリーダーということだ。そこで、とりあえず都が提示している「濃厚接触者の定義」を参考にしながら、1週間自宅待機としておいて、PCR検査の結果を知らせてほしいとした。
請負会社の方でも、検査キットがあるということなので、その対応をお願いしたが、結局近隣の病院でPCR検査を行った。
ところが、実はその病院では職員が濃厚接触である場合、即時にPCR検査ができるのである。しかも20分で検査結果が出るという。もちろん精度は少しは落ちるのであろうが、その結果に即して勤務開始できるというのだ。
そして、その検査の方法手続きに関して、請負の彼らには全く知らされていなかったのである。
友人は「教えておいてほしいよ」「ホント蚊帳の外よ」と嘆く。結局検査の結果陰性であり、たまたまシフト上問題も生じなかったので、通常の勤務を維持できたという。
友人は問題が起こらなかったと、つまりシフトに穴が生じなかったことに安心していたのだが、この話を聞いた僕は「だから、これが格差だろう」と。
1つには、正規病院職員は20分で検査結果が出る対応をしてもらえる。しかしながら、請負の病院スタッフはそのような対応から排除されている。
2つには、このような検査があることすら知らされていない。つまり情報に格差が生じていること、下の者までには情報が流れない、そういうシステムにあるということだ。
情報の民主主義的運用がなされていれば、請負スタッフも即座に検査することができた。面白いことに、実は希望すれば、検査できたというのである。
どうして情報の流れがせき止められているのか。雇用形態が前提となって、人々の行為が事前に決定されているからである。ここに登場する人物に悪意はない。しかしながら、このような不可視となってしまう構造に規定されているからだ。
これは1事例であり、社会全体に及んでいるのだろう。コロナは全世界の問題である。だから皆が同じ船に乗っているように思い描く。ところが乗る船は違っているのに、同じ船だと観念化されている。