先日の衆院選。僕は選挙区も比例もれいわ新撰組に投票した。
僕が政治に期待するのは簡単なことだ。そもそも政治に僕の思想・信条・信念・哲学に影響を与えられるわけにはいかない。それは僕が僕の心と対話したり、哲学や文学、歴史を学ぶ中で、つまりは生きている中で醸成される精神であって、政治の範囲外だ。
だから、政治的信条が僕の心の中に入り込もうとするようであれば、その政党など相手にする気はない。
で、政治に期待することは何かといえば、単に人々の生活を豊かにすること、物質的生活が全うできることだけである。かつて小沢一郎が生活の党を立ち上げていた時、「国民の生活が第一」とスローガンをあげていたが、精神的生活ではなく、ただの生活だけを扱う政党に投票することにした。
そこで、イデオロギー政党はどこかと観察すれば、自民党だと思う。右だ、左だ、保守だ、革新だ、そういう枠組みで世界を単純化するのは、生活をよくすることとは、全く別物だ。もうあの中道の自民党は存在しないのだ。
共産党はかつてのイデオロギーを脱皮していると思うが、かつてのイメージで捉えている者もいるし、自民党寄りの人々がそのイメージをプロパガンダしてもいた。その意味で、このプロパガンダの主体は、国民の生活を良くすることではなく、自分たちが権力であることに拘泥している。
ちなみに共産党は政党助成金を受け取っていないので、市民政党に限りなく近づいていると思う。党名変更をしたらいいと思う。例えば最近流行りの「コモン党」なんかどうだろう。まあ「コモン」が共産になるか?
どうしてれいわ新撰組に1票入れたかというと、日本初の市民政党と言ってもいいと考えたからだ。内田樹さんのTwitterから拝借。
山本太郎さんの北海道での集会の様子をネットで拝見。相変わらず熱いなあ。メディアからも組合からも宗教団体からも支援なしで、ボランティアと勝手連だけで3議席はほんとう立派な成果だと思います。これから彼を囲んでオンラインミーティングです。
— 内田樹 (@levinassien) November 13, 2021
れいわはリベラルだと捉えられているが、国民の生活を良くしようと言っていて、山本太郎の政策はそれに終始している。そこに企業・団体・組合・宗教という社会的組織とは関係のない国民一般を対象にしている。
そもそも近代社会はリベラル(自由)な社会だから、リベラルであることは至極当然である。つまり、どの政党もリベラル(自由)を土台とするのであるから、リベラルは批判されるべきことではない。急進的なときに、保守が待ったをかけるだけだ。そもそも自民党は、自らリベラルと党名に入れているのだから。