まず池田清彦先生のtwitterを拝借する。
何度も言っていますが、地球の気候変動を人為的に変えことはほぼ不可能です。1000兆円くらい注ぎ込めば、0.001℃くらい下げられるかも知れませんが、その金を別のことに使った方が人類のためでしょう。
— 池田清彦 (@IkedaKiyohiko) November 6, 2021
人為によって気候変動が起きたのだろうか?それとも自然だろうか?どちらが正しい認識なのか、人間は理解できるのだろうか。人間が自然に勝ることなどないと思うが、科学に対する信仰はまさに現代の宗教ではないかと、いつも感じている。
気候変動の問題は、今のような大量生産し大量消費する生き方を考え直す絶好の機会だと思うが、どこかに科学が乗り越えてくれると信じているよに思われる。多分欧米の人に、そういう傾向が強いのかとも思うし、今の発展からしても、中国も同様なのだろうか。
SDGSが流行りのようだが、DはDevelopmentであるから、発展・開発は止まらない。大量破壊と大量廃棄が変わるわけでもなく、小手先の“環境にいいこと”をやって、それで満足するのだろうか。先の大量生産・大量消費は結局大量破壊(収奪)・大量廃棄を背中合わせにする。
コロナもこの頃は勢力を低下させた。皆安心しているのだろうか。外国では感染が増加しているところもあるし、季節要因であるとしたら、日本の冬も感染拡大になるのだろうか。でも、コロナは自然現象であるのだから、人間の予測通りなどにはならない。
3回目のワクチンという話も本格化してきているようだ。僕はワクチンこそ科学信仰の象徴のように思えてならない。このようなテクノロジーによって覆われる、そういう世界が目の前なのか、もうやって来ていたのか。
僕は今回のコロナを体験して次のように考える。
人間は自然を理解することができない。理解したと自惚れている。科学が解き明かしたことは、科学が解き明かしていない、解き明かせない自然に比べて、あまりに小さい。
見えることは見えるが、見えないことは見えない。でも見えないことに気づくのは難しい、そんなことが頭をめぐる。