ナショナリズムに関して語るのであれば、当然天皇制や神社について語らなければ、片手落ちでしょう。
明治以前、神社境内は雑然としたところでした。お祭りをしたり、相撲をしたり、お宮参りしたり、人々の生活の中に溶け込んでいました。随分自由な空間だったように見えます。
江戸時代は神仏混淆で、神社の神様と寺院の仏様はなんだか融合していました。神社が寺の鎮守になり、仏様が神社の神の姿で現れると考えられていました。
いいかげんといえば、いいかげん、寛容といえば、寛容。日本人にはどこかそういう考えがありませんか。
僕の父親は遠洋漁業の仕事に就いていました。家には神棚が祀ってありました。海の神様、住吉神社でした。でも仏壇に手も合わせていました。普通の日本人像だと思います。日本人はいいかげんに手を合わせ、祈っていたのです。もちろん今でも残っています。
このような神仏習合を転換したのが、明治です。そういえば、テレビでよく神社での正しい振る舞いとして、二礼二拍一礼がよく紹介されています。実際行なっている人を見ます。
実は色々な説があり、正しい方法はなんだかわかりません。そもそも拍手してはいけないという話まであります。庶民はそんな正式な方法など気にせず、神社にやってきて、遊んだり、祈ったりしたのだと思います。実は我流で良いということだったのです。
僕は子供の頃、神社の境内でよく遊んでいました。ちょうどいい広場です。神社に入る時、二礼二拍一礼など当然しません。そういう気軽な場所です。それが規律化し、祈りの行為を制度化するところに、僕自身は権力作用さえ感じます。
明治に王政復古の大号令が発せられます。政治から消えており、庶民の意識に登ることもない天皇が復権します。そこで近代国家建設にあたり、国家神道が唱えられます。近代特有の国家宗教がここで明確になります。このような考えが出てきたことにより、近代国家を目指しやすくなります。
この時廃仏毀釈も行われます。まず神仏分離令です。これは庶民のそれまでの生活を壊します。明治とは、列強からの防衛との意味が強調されますが、江戸時代の徹底的否定です。神仏習合は1000年以上の日本人の生活や心を納めてきました。人々はその中で伝統と文化を作り上げてきたのです。
神仏分離令は太政官布告です。ですから、あたかも日本の伝統の中の太政官によって行われた歴史的行為のように見えますが、近代化であり、変革です。その意味で公定ナショナリズムなのです。
先に神社で2礼2拍一礼の話をあげましたが、それは明治までの日本の歴史伝統ではなく、明治に権威付のように現れた風習だということです。
そして、20年にも満たないと思いますが、昨今テレビで放送され、人々に浸透しています。これはまさに人々の生活の中で自然発生的に育ってきた伝統ではなく、2礼2拍一礼もまた「作られた伝統」を構築しているように見えます。
ただ廃仏毀釈は成功しませんでした。それが伝統と歴史の力でもあるのかと思います。