犯人の女は、2人の男性金庫から金塊、2億6千万円相当。
80代の一人から金塊2200万相当。
3人で計2億8千万、盗んだ犯罪を、堂々とやった。
それはともかく、二人の男性で2億6千万円。
これは相続としたら脱税になる。
2200万も、誰にも言わなければわからない。
2千万以上金塊を入れてる人たちの心は・・・
犯人の女は、2人の男性金庫から金塊、2億6千万円相当。
80代の一人から金塊2200万相当。
3人で計2億8千万、盗んだ犯罪を、堂々とやった。
それはともかく、二人の男性で2億6千万円。
これは相続としたら脱税になる。
2200万も、誰にも言わなければわからない。
2千万以上金塊を入れてる人たちの心は・・・
朝刊「ガンとともに」記事が多数。
投書、声、もすべて患者か家族だった。癌の何かの日?
池江選手なども大きく掲載。
その中に「完全寛解」の単語。
かんかい、検査でほぼ治っている。
完全がつくと違う?調べたら、下記、
池江さんは、血液ガンだから検査でガン細胞を
確認できなくなった。完治ではない。
病気系つながりで。
昨日、FM、夫が人口透析を長年受け、亡くなった妻が出た。
荻上チキと堀川恵子。亡き夫はNHKのプロデューサー、
透析を12年、母から腎臓移植を受け9年位。7年前亡くなった。
60前後か?確か腎臓かに他の病気もあり、
肝臓なども悪化、最後は透析も不可能になる。
壮絶な最後だったと、当時を思い出し涙声になる。
ノンフィクション作家で、夫の闘病を書いた本を出した。
私は予約してあり、ちょうどFMに出演で聴いた。
癌患者は年94万、透析は35万(平均71歳)
透析は高齢者が多い。ギリギリまで待ち透析。
週3日4時間。簡単に書けるが、長年この時間を取られる。
さらに透析は緩和ケアがない。緩和には入れない。
最後はどうすればいいのか・・
堀川は夫の苦しみを見ても、なすすべがなかった。
癌患者は入れる。痛みを止めることも簡単ではないと語る。
亡き森永さんは最後は希望し自宅で過ごし、
モルヒネが切れると、痛みはとてもひどかったとあった。
透析患者だけではないだろう。
堀川の夫はプロデューサー、若い頃は特に
日常的に不規則、多忙な日々だったと思う。
透析は食事、睡眠、水分管理も大事。日に500CCまでが理想。
2つの病い、私もなったら・・ガンは決めている。
〇がんの寛解とは「症状がおさまり、再発しない状態が続いていること」で、
がんの種類によって定義が異なります。
治療後にがんが検査で確認できなくなることを「完全寛解」といい、
固形腫瘍の大きさが一定以下に縮小するか、造血器腫瘍(血液のがん)で
がん細胞が一定の割合以下に減少することを「部分寛解」
原宿は近いが混んでいるので、あまり行かない。
駅すぐのイケアをぶらぶらくらい。
ハラカド、というビルができ、そこに銭湯が入っている。
1階はディオール。地下が銭湯(^^)/
原宿も築50年くらいのお風呂なしアパートが
まだ路地奥にはあるとは思うが・・7時から開店。
日航123便、御巣鷹山事故、著者は元CA。
ノンフィクション作家。事故で寮にいた同僚が亡くなり、
事故を知ろうと純粋に思い書いた1冊。
大卒後CAになり数年以内で辞職。東大院で博士課程を取得。
人材教育プログラムにかかわる。
この事故は理系の知識が必要だと勉強し始める。
大学院など研究機関で墜落に関した資料
35年間の調査をする。これまでに6冊出版。
1冊がベストセラーに。本書も24年8月刊、11月には5刷。
森永卓郎も、書いてはいけない、でこの事故をとりあげ、
著者とも話している。私も3冊は読んでいる。
年齢はわからないが、事故当時20代後半として、もう60代後半だろう。
仙台出身。2010年にこの事故の初めての本を出した。
遺族が裁判中の資料公開も23年却下され、
これが最後の本になるか。
この事故直後、私は出産で入院中、予定日を過ぎ
当時は高齢で帝王切開の可能性もあった。
2日位個室でTVをみられ、今でも記憶にしっかり残っている。
生と死の時を過ごした。
本書は事故ですでに書いた事もある。
遺族が資料開示裁判を起こし
昨年、それが却下されたなど、内容は濃い。
中でも2章。「看護婦が見た隠された遺体」が今回
初めて書かれたと思う。
86歳になる元看護士、当時、遺体搬送された病院に
ボランティアでかけつけていた。
藤岡市の病院、外科のM看護師。ベテラン。
14日、仕事が終わり遺体搬送の体育館に17時頃に着くと
大混乱だった。暑く、息苦しい、40度を超えていた。
遺体からの異臭もあった。
次々来る遺体を医師が診ていく。
水道は外だけ。運び汚れを落とし、一人2,3時間
かかる作業を延々とした。
深夜、裏の入口から一人の遺体が搬送。
機長だった。事故では、可能な限り
機長が一番早く遺体検死を行うのが鉄則。
病気、アルコール、薬物などをすぐに診る。
機長は全裸で、となりに身長ほどある、アルミ?のような
棒が・・刺さっていた?全身がそろった完全遺体。
炭化はなかった。
大手各新聞は、どこも8月30日頃機長遺体が発見の記事が載った。
491人目に発見とある。
14日に機長を診たと書かれているのに・・
著者はM看護師の15年に出した、事故の文集を読み
おかしいと感じ、訪問し話をきいた。
当時をしっかり記憶していた。
機長は一般とは違う、厚い毛布で丁寧にくるまれ、
機長がするはずはない
一般と同じ酸素マスク、黄色、だった。これもあり得ない。
コックピットにあるマスクは形色が全く違うもの。
いくつかの疑問がわき、著者は資料を再見した。
機長は14日深夜、100人目位に検死をされた。
自衛隊機と日航機衝突事故として、著者は長年書いている。
機長は自衛隊からJALに入社、そういう経歴のパイロットは多かった。
米軍の支援を断り、場所の特定も遅かった。
もっと早ければ、助かった人も多かった。
遺族の一人は親族5名を亡くし、資料開示の裁判へも参加。
もう30年。私も上記したように、記憶が残っている。
71年頃、岩手雫石で、自衛隊機とこれはANAだったかが
衝突し、160名位が亡くなった飛行機事故。
それ以外にも、米などでも軍機とは少なくはない。
仏でもあり、隠ぺいされたが、50年後くらいに機長が証言し
国が謝罪。賠償金を払った。
日本ではボーイング社が間に入り、国からの賠償は1円も出ていない。
各自の示談交渉だけ。
当時、金額を推測し、お金が入るならマンションを買ってほしい、
土地がある、遺族への勧誘もひどかったという。
これは知らなかった。単独では世界一の大飛行機時期は
これで、もう幕を閉じてしまうのだろうか・・
24年元旦の能登地震、2日の海保とJAL機の衝突爆破事故についても
書かれている。
JALは半官半民会社、他の航空会社を傘下などで、
混乱時期が長かったとある。
羽田の過密ダイヤ問題。まだ増えそうな本数。
インバウンド加熱でどうなるのだろう。
飛行機は長く乗っていない。
また著者の本を読みなおしてみようと思う。
火曜日、トムセン陽子。彼女が好きなヴァウンディ特集。
24歳、昨年大学卒業。ジャケデザイン、アレンジなどすべて
自ら制作。
「恋風邪にのって」など、好きな曲は録音、FMで聴いている。
ジャンルレス、好みではない曲もある。
今夜は聞いてみよう。
〇バウンディ、2000年6月6日 は、日本のシンガーソングライター
所属レーベルは株式会社SDR内のVaundy Artwork Studio。
クリエイターと協働してアートワーク制作、映像プロデュースも手掛ける。
2023年度に卒業するまで日本大学芸術学部デザイン学科に通いながら活動を行っていた[7]。24年卒業。
~~麻布十番にある音楽塾ヴォイスに通い、本格的に音楽の勉強を始める[9]。
ロック、ヒップホップ、R&B、シンセポップなどが混合した、ジャンルレスな楽曲を特徴。
音楽制作について、「現代のオリジナルは散らばったピースを
面白くはめること」であると語っており、
影響を受けた特定のアーティストは特にいないが、
日本独自の音楽ジャンルであるアニメソングが好きだと語っている。
自身初のシングル曲である「東京フラッシュ」は、まず自身の名前を広く知っ
てもらうためにJ-WAVEなどのラジオ局で流してもらおうというコンセプトのもと制作した。
大学でデザインを学んでいる経験が音楽活動にも影響を与えており、
アートワークやミュージックビデオなど、音楽もデザイン的であることを意識している。フルアルバムは2枚。