銀の人魚の海

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隠された遺体 青山透子

2025-02-04 | 本、雑誌

日航123便、御巣鷹山事故、著者は元CA。

ノンフィクション作家。事故で寮にいた同僚が亡くなり、

事故を知ろうと純粋に思い書いた1冊。

大卒後CAになり数年以内で辞職。東大院で博士課程を取得。

人材教育プログラムにかかわる。

この事故は理系の知識が必要だと勉強し始める。

大学院など研究機関で墜落に関した資料

35年間の調査をする。これまでに6冊出版。

1冊がベストセラーに。本書も24年8月刊、11月には5刷。

森永卓郎も、書いてはいけない、でこの事故をとりあげ、

著者とも話している。私も3冊は読んでいる。

年齢はわからないが、事故当時20代後半として、もう60代後半だろう。

仙台出身。2010年にこの事故の初めての本を出した。

遺族が裁判中の資料公開も23年却下され、

これが最後の本になるか。

この事故直後、私は出産で入院中、予定日を過ぎ

当時は高齢で帝王切開の可能性もあった。

2日位個室でTVをみられ、今でも記憶にしっかり残っている。

生と死の時を過ごした。

本書は事故ですでに書いた事もある。

遺族が資料開示裁判を起こし

昨年、それが却下されたなど、内容は濃い。

中でも2章。「看護婦が見た隠された遺体」が今回

初めて書かれたと思う。

86歳になる元看護士、当時、遺体搬送された病院に

ボランティアでかけつけていた。

藤岡市の病院、外科のM看護師。ベテラン。

14日、仕事が終わり遺体搬送の体育館に17時頃に着くと

大混乱だった。暑く、息苦しい、40度を超えていた。

遺体からの異臭もあった。

次々来る遺体を医師が診ていく。

水道は外だけ。運び汚れを落とし、一人2,3時間

かかる作業を延々とした。

深夜、裏の入口から一人の遺体が搬送。

機長だった。事故では、可能な限り

機長が一番早く遺体検死を行うのが鉄則。

病気、アルコール、薬物などをすぐに診る。

機長は全裸で、となりに身長ほどある、アルミ?のような

棒が・・刺さっていた?全身がそろった完全遺体。

炭化はなかった。

大手各新聞は、どこも8月30日頃機長遺体が発見の記事が載った。

491人目に発見とある。

14日に機長を診たと書かれているのに・・

著者はM看護師の15年に出した、事故の文集を読み

おかしいと感じ、訪問し話をきいた。

当時をしっかり記憶していた。

機長は一般とは違う、厚い毛布で丁寧にくるまれ、

機長がするはずはない

一般と同じ酸素マスク、黄色、だった。これもあり得ない。

コックピットにあるマスクは形色が全く違うもの。

いくつかの疑問がわき、著者は資料を再見した。

機長は14日深夜、100人目位に検死をされた。

自衛隊機と日航機衝突事故として、著者は長年書いている。

機長は自衛隊からJALに入社、そういう経歴のパイロットは多かった。

米軍の支援を断り、場所の特定も遅かった。

もっと早ければ、助かった人も多かった。

遺族の一人は親族5名を亡くし、資料開示の裁判へも参加。

もう30年。私も上記したように、記憶が残っている。

71年頃、岩手雫石で、自衛隊機とこれはANAだったかが

衝突し、160名位が亡くなった飛行機事故。

それ以外にも、米などでも軍機とは少なくはない。

仏でもあり、隠ぺいされたが、50年後くらいに機長が証言し

国が謝罪。賠償金を払った。

日本ではボーイング社が間に入り、国からの賠償は1円も出ていない。

各自の示談交渉だけ。

当時、金額を推測し、お金が入るならマンションを買ってほしい、

土地がある、遺族への勧誘もひどかったという。

これは知らなかった。単独では世界一の大飛行機時期は

これで、もう幕を閉じてしまうのだろうか・・

24年元旦の能登地震、2日の海保とJAL機の衝突爆破事故についても

書かれている。

JALは半官半民会社、他の航空会社を傘下などで、

混乱時期が長かったとある。

羽田の過密ダイヤ問題。まだ増えそうな本数。

インバウンド加熱でどうなるのだろう。

飛行機は長く乗っていない。

また著者の本を読みなおしてみようと思う。



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