今週は稲垣潤一。JIは亡き作家、西村賢太がファンで、日記の中に
そのことをかいていた。稲垣は、西村をライブに招待し、交流もあった。
3日目はビリー・ジョエルの1枚。72年全米1位のアルバム「NY52番街」
オネスティ、ビッグショットなどかかる。25歳の頃よくきき、自分も歌ったという。
仙台のクラブでセミプロで歌っていた。老舗「スコッチバンク」、週末は満席に。
20年6月で閉店した。ステージが狭く、お客とすぐ。甲斐バンドが来て呼ばれ
「歌うまいね、プロで歌ってみる」と声をかけてくれた。もうすでに
デビューが決まっている話をした。
ビリー、最近は新曲がない。来日もしてほしいと語る。稲垣潤一は私と同齢、
仙台で音楽が好きとは言え、当時、ライブハウスでドラムと歌、親が許して
くれたのだろうか、あまりいないかも。成功したからいいが、地方の70歳。
wikiの記憶では父は満州からの引き揚げ者だったような・・
そうだった、父は都内生まれが音楽好きだったんだ・・↓
昨年コロナに感染、ライブ、1回中止に。よくなったよう・・
〇父親は東京都板橋区、母親は兵庫県神戸市出身[1]、父が終戦後、満州からの
妻の疎開先・宮城県宮崎村に引き揚げ、仙台市に移り住んだ後、潤一が誕生[1]。
父が音楽好きで、ビートルズやエルトン・ジョンを好んで聴いており、
60過ぎて自らギターを習って曲も作るという環境で育ったため、小さい頃から音楽が
好きだった[2]。最初はエレキギターのサウンドにしびれてギターに惹かれ、
小学生の頃はホウキで真似したり木を削ってギターを作するがしっくりこず、
中学生になり8ビートを教わってドラムを叩いたらすんなりできたことにより[
2]中学でドラム・ヴォーカルを主に担当、
高校で初めてバンドを作りながら本格的なバンド活動を始め、
仙台にて「フェイセス」結成。
その後、仙台のライブハウスや横須賀や立川の米軍キャンプ等で演奏を続けるうち、
その歌声の良さに仙台の店でスカウトされる。
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