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★地元学「南北朝と北畠顕家」第1回「もう一つの幕末」

2014年05月24日 | 歴史

 顕家卿が登場する直前の鎌倉幕府末期、権謀術数うごめく公家と武家の関係、それぞれの内部対立がよく分かりました。討幕~南北朝はイデオロギーというより、幕府と公家の対立、さらに、武家内部=幕府と結ぶ本家と分家の対立が背景にあったということ。

 東北が南朝に与した理由が見えてきました。
白河の結城宗広氏が顕家卿の忠臣であったことも、後醍醐天皇配下の円観が流された縁もありますが、幕府よりの結城本家との対立もあったのですね。阿武隈川を境に本家が支配していた西郷、大信を安堵してもらいたい・・。

 皇帝を尊び異民族を駆逐する宋学を由来とする尊皇攘夷思想、隠岐からの綸旨など、江戸の幕末のひな形があったようにも思えます。それにつけても、後醍醐天皇の破格さは尋常ではありません。諫めることの出来たはずの北畠親房氏が世良親王夭折の責を受けて出家しなければ・・。

 



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