江戸時代、大工や鉱夫が右手に槌、左手にノミを持つことから右手のことを「槌手」、左手のことを「ノミ手」と言いました。この「ノミ手」が「飲み手」と同じ発音だったため、ダジャレのような感覚で、お酒飲みのことを「左利き」と呼ぶようになりました。「左党」もその派生語とされています。
「左党」が誕生した後、左党の反対という意味で、お酒が飲めない人のことを指して「右党(うとう)」という言葉が生まれました。
なる程そういうことだったんですね!
僕の家系は父方も母方もどちらもお酒は飲める方でした。
でも僕の親父は若い頃はあまりお酒が強くありませんでした。
仕事の付き合いで飲んでくる時はよく悪酔いして青い顔をしながら帰って来てました。
そしてその父親の顔を見るなり洗面器を抱えて
パパ〜!と言って親父の後をよく追いかけていたのを覚えています。
それから父親も鍛えられたのと元々飲兵衛の家系のDNAもあってとても強くなりました。
前にも書いたことありますけど我が家はお酒に関しては割と寛大で子供の頃はビール🍺の泡だけ頂戴と言っては飲んでいたし、高校生になった時には正月など少しだけだけどお酒を飲ませてくれました。
でもやはりお酒を本当に美味しいと思うようになったのは大学生になってからですね。
酒飲みになってからの僕はそれなりに色々と醜態も晒しました。
今回は新入生の頃の酒にまつわる苦しい思いでをば😱😱😱
新入生の頃は新歓コンパを含め必ずと言って良いほど先輩と飲み比べをさせられて潰れてました。
新入生の時の学園祭の打ち上げの時は超悲惨な目に合いました。
まず最初に部室で打ち上げをやったんですけど殆どつまみもなく冷酒をガンガン飲まされ結構出来上がったまま先輩に連れられて新宿の歌舞伎町にくり出したんです。
確かサントリーのやっている大衆的なパブで2次会がスタート!今度はトリスだったかホワイトの水割りを飲み羽目に!
暫くは何とか頑張ったんですけど遂に限界値を超えてしまいました。
気分が悪くなってそのままトイレに駆け込みました。
結局僕はそこで撃沈!2次会が終わるまでトイレに籠城する羽目になりました。
そして気持ち悪くて頭もグルグル回る状態でJRの新宿駅に先輩に抱えられるようにして向かいました。
流石に先輩も心配して
おい!ミカウバー!今夜は俺の下宿に泊まれ!
と言ってくれてんですが、完璧に酔っ払っていた僕は
先輩大丈夫です!
と叫んで先輩の手を振り払いそのまま山手線に乗り込んでしまったのです。
そしてそこで僕の記憶はぷっつり途絶えました!
そして次に意識が戻った時にはあら不思議!
ちゃーんと池袋で乗り換えていつも使っている東武東上線の乗っているではありませんか!
しかも気が付いたのが僕の降りなくては行けない駅の2つ前だったんです!
そして11月の夜の冷気に包まれながら気持ち悪〜いと言いながら下宿への道をフラフラ歩きました。
酔い潰れて意識が飛んでいてもちゃんと帰れる自分に
俺ってすげ〜じゃんと妙に感心していたのを覚えています。
そのあと下宿にたどり着いた後どうにかこうにか布団に潜り込み泥のように眠りに落ちていったのはいうまでもありません。
そして目が覚めた時には強烈な二日酔いでその日は1日使いモノになりませんでした。
思いっきり話は脱線してしまいましたけど僕の酒にまつわるお恥ずかしい話のほんの一部をご紹介いたしました。
でも病気してからは殆どお酒は飲まなくなりましたし飲めなくもなりました。
もっぱらノンアルコールを嗜む適度です。
皆さんもコロナ禍が続き楽しいお酒を飲む機会が少なくなられたと思います。
早く美味しいお酒を笑いながら飲める日が来ることを夢見て
バーチャルでCheers!
でも飲み過ぎには注意しましょうね😅😅😅
今日も一日よろしくお願いします🙇♂️
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