僕が幼い頃、子供にとってお菓子それも駄菓子って一つ一つのサイズは大きくはなかったけど色んな種類があって見てるだけでワクワクする存在でした。
👆イメージ写真です!
しかも色んな駄菓子が所狭しと並んでいる駄菓子屋さんって子供にとってはパラダイスでした。
駄菓子屋さんに行くのってとても楽しかった思い出があります。
そして今日3月12日は駄菓子の日なんだそうです。
ではいつもの様にこの日の由来をググってみました。
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なるほどそう言う事だったんですね。
正直僕はこの様な日があるのを全く知りませんでした😅😅😅
僕は子供の頃そんなにお菓子を食べる子ではありませんでした。
例えば遠足に行っても親が持たせてくれたお菓子を殆ど手付かずのまま家に帰ってました。
せいぜい板になったチューインガムを1枚食べるくらいでした。
それを見て母親があまりにもガッカリするのでこれはイカンと思い現地で持って行ったお菓子を友達に分けて消化する様にしてました。
そんな僕でも駄菓子屋さんに行くのって好きでした。
僕が幼い時に住んでいたのは父親の勤めていた会社の社宅でした。
その社宅には同級生が10数人住んでいて皆んなで遊んでいたんですけど流石に社宅の中には駄菓子屋さんってありませんでした。
少し離れた線路沿いにとても小さな駄菓子屋さんがあってたまに母親に連れて行ってもらった記憶があるんですけどあまりに狭すぎて楽しかったと言う記憶はないんですよね。
それで夏休みに甲子園にある母親の実家に帰省した時に浜甲子園にあった駄菓子屋さんに祖母や叔母達に連れて行ってもらってました。
そこではお菓子を買ってもらうより当て物を買ってもらうのが楽しみでした。
当時の駄菓子屋には子供の心をくすぐる様なものが本当にいっぱいあって楽しくて仕方なかったです。
小学校4年になる時の春休みに社宅から引っ越しして地元の村に住む事になりました。
そこに行ったらなんと駄菓子屋さんが2、3軒あってびっくり‼️
👆イメージ写真です!
田舎の方が駄菓子屋さんあるんだ!
と純粋に思いました。
そこではいちご🍓の飴に紐のついたやつとか
ガラスの入れ物に入ったひねり揚げみたいなお菓子や砂糖のまぶされた丸いカステラみたいなお菓子などなど社宅に住んでいた時にはみた事ないお菓子が沢山あって目移りしました。
それまではお菓子と言えば明治やロッテやグリコと言う所謂ナショナルブランドのお菓子しか知らなかったんですもん。
あと僕が意外と気に入っていたのがいも飴でした。
素朴な味なんですよね!
昔の駄菓子ってまず子供でも買える価格設定が嬉しいのと決してオシャレじゃないけど妙に温かみがあってほっこりするんですよね。
つくづく昭和っていい時代だったんだなぁと思うし、それだけ自分自身が歳をとってしまったのを感じざるを得ませんね。
駄菓子や駄菓子屋さんってある意味文化遺産だと思うんですよね。だから令和生まれの子供達にも駄菓子や駄菓子屋さんの良さを知って次の世代に引き継いで行って欲しいです。
さて今日も一日よろしくお願いします🙇♂️
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