フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

フラヴィニー~スミュールの正式パーティー・着物をお披露目。

2021-04-05 00:23:02 | 2018年春の旅行(パリ・ブルゴーニュ・リヨン)

その日は翌日昼に正式の結婚式披露宴があるホテルに前泊した。

列席者は皆ここに泊まるよう、予約の手配はしてくれていた。(当然ながら、各自負担)

このホテルは、スミュールアンオーソワ(Semur-en-Auxois)にある。ここも好きな街で、エスカレーターに2009年に連れてきてもらったところだ。車でないとなかなかアクセスが不便なところである。

もちろん初めて来たフランス人も多く、いい場所をセレクトしてくれたヴァンサンの両親に感謝していることだろう。

やはり、今回も見た「DOJO KARATE」↓

 

翌朝は、ハムや卵なんかもあるアメリカンよりの朝食だった。

 

今日も長ーい一日になるのだが、この時はまだわからなかった。

 

スミュールはもう知っているということで、朝からアンリ・アニエス夫妻と車で、フラヴィニー・オズランという小さな村へ出かけた。

ここは、ジョニーデップとジュリエット・ビノシュの「ショコラ」という映画の舞台になった村でもあり、アニスというフランス人が大好きなキャンディの生まれた町でもあり、私はここはずっと来たかったところだったので、とても嬉しかった。

 

アニスの工場は見学しなかったけれど売店があり、そこでいくつかお土産にキャンディも買った。店の外に掲示してある写真を見ると、なんと日本の小学生と思われるグループの写真があった。日本から来たのか?

そしてまたホテルへ戻った。今日のランチは結婚披露宴の正式なパーティーだ。アニエスに前もって持ってきた着物を何時着ればいいのかと聞いておいたのだが、このランチに着るのがいいということだったので、早速用意をする。

 

招かれていたほかのマダムたちも、やはりこの時に合わせてドレスアップしていて、さすがフランスと思えるマダムたちが多かった。

しかし、着物姿になると、参加者の私を見る目が全く変わり、そのマダムたちから「アジアの国は素晴らしい。伝統の衣装を守り続けている」と称賛の言葉をかけてもらえた。

これはハンももちろん「アオザイ」を着ていたからだ。

しかし手前みそながら、和装というのは着るのが複雑で難しいが、技術や材料、色やデザインなど、手間暇をかけて作られ、どこの民族衣装よりも素晴らしいところがたくさんあることを実感した。和装のおかげでいい思いをすることは多々あると思うが、この日は強く実感した。

ヴァンサンママは、ベトナムでの挙式の際に記念に買ったというアオザイ姿。フランス人マダムにはこのくらいの色がよく映る。↓

ランチのメニューはブルゴーニュのスペシャリティーが並んだ。

アペリティフはグジェール、飲み物はもちろんキール(白ワイン+カシスのリキュール)が出て、エスカルゴ、カエル、カシスのデザートもでた。

また今日だけ出席の人もいて、さらに増えていた。

 

ヴァンサンパパは医師(産業医)なので、その医科大学の同窓生の友人夫妻が5組くらいが、ボルドーやストラスブール、パリなどあちこちから駆けつけていた。

どの人も大変感じよかった。とりわけ紹介されたパリに住む小児科医のジャッキーとニコル夫妻は、この年の秋に孫のノアと一緒に来日が決まっていたので、連絡先を交換し、奈良観光のお手伝いをすることになったのだった。また私の2019年のパリの滞在では本当にお世話になった一組である。



ヴァンサンはお姉さんを亡くしているのだが、そのお姉さんの親友の家族も来ていて、心温まるものだった。

 

その締めくくりは両親の挨拶で、ハンを大事に育ててくれたハンの両親への気持ちや、ベトナムでの結婚式の様子、そのハンを大事に守っていくという気持ちが涙ながらに語られていた。



最後は、「三々七拍子」ならぬ、ブルゴーニュの歌「ラ・ラ・ラ」というのがあって、それも手拍子で締めるもので、楽しいお開きとなった。



そして、アンリアニエス夫妻と、車でまたアニエスの実家に戻ったが、そのままその夜は、まだ終わらなかった。夕食は、アニエスの弟の家での招待が待っているのだった。

パリに住んでいる息子のJフィリップと奥さんのディアンヌもちょうどこちらに来ているとのことで、2017年の夏の来日の時以来の、再会になる。パリで会う時間がなかったので、アニエスが連絡して呼んでおいたようだ。




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