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天津の思い出~中国とのはじまり

2015年05月03日 22時38分24秒 | 中国散歩道
先日。打ち合わせのため、久し振りに天津を訪れた。

電車で通過したことはあったかもしれないけれど、滞在するのはおそらく09年以来。

天津には少し思い出がある。


09年3月末。


ある製品をPRするため中国各地を回るという計画をたてた。上海から入り、1ヶ月かけて蘇州、天津、河北、北京、重慶、四川そして上海に戻り帰国するという計画だった。

ことの発端は上司と行った飲み屋での出来事。

製品PRのための調査やレポートばかりをオフィスで作って、何だか方針も出ないまま時間だけが過ぎていく感じにイライラしていた。
飲み会でも「なぜ売れないのか?」というような話になり、酔った勢いで

「机の上だけで議論していても無駄でしょ!実際に中国に1ヶ月くらい行って、お客に直接PRすれば簡単に売れますよ!!」

と偉そうに言い放ってしまった。
どんな反応があるかと一瞬身構えたけれど、上司からは

「あ、そう。じゃあ行ってきてよ。3月31日までに出発ね」

と、その場で決まってしまった。


それから大急ぎで1ヶ月間の出張計画を作り、ビザを取り、パートナーにサポート依頼をしたりと慌ただしい日々が過ぎた。
予算も少なく、とにかく節約をすることを義務付けられた。計画書の中身も最低限の予算で、ということを書いた。
それが、どこからどう伝わったのか某所で

「さんちゃお(わたしのこと)がいま中国を転々として営業活動をしているが、経費節減のため飛行機を使わず電車で移動している。この姿勢を見習うように」云々

...という話を役員がしてたという驚愕の連絡を東京にいる同僚から受けた。
それは、ちょうど上海から天津へ飛行機で着いたところだった…

その後、飛行機は最低限にして、電車やバスを使ったけれど、仕事で中国に来るのはこの出張がはじめて。どこに行っても右も左も分からず。移動時などの会話はひたすら筆談でするありさまだった。


天津滞在の2日目。4月3日金曜日。


仕事が終わった後、近所の公園にあった天塔という塔に上り、そこから見える景色をひとり眺めていた。
埃でよごれた窓の外には広大な大陸が広がっていて、大陸が広がっている分、どこまでも可能性があるように見えた。
塔に登った時はまだ明るかった景色が日が暮れるにつれ暗くなり、街には、いや大陸にはところ狭しと明かりが灯りはじめた。
中国はまだまだ途上国で、日本の田舎に近い勝手なイメージを持っていたこともあり、その景色を少し驚きながら見ていた。

「中国はいま間違いなく発展をしている。そして、これだけ広大な大陸なのだから、必ず仕事は作れるはず」

とその時、漠然と浮かんだ思い込みは、良くも悪くもその後の仕事にある程度の影響は与えたと思う。
日本に帰った後、成り行きで中国案件もいくつか担当するようになり、いつの間にか中国駐在メンバーになっていた。


そして期待と不安を抱きながら北京での仕事を開始し、紆余曲折と紆余曲折と紆余曲折…(略)と色々あり、いまに至っている。

その1ヶ月出張では、唐山で片道3時間コースの道のりを、対向車線でもお構いなしにガンガン走るタクシーに乗ってしまい、思わず同僚に「死ぬかも…」とメールを送ったり、重慶のホテルで食べるものがなく、朝食バイキングで1日分の食事を済ませたり、北京で風邪をひきフラフラの中、昼食時にビールを飲んだらお客はなぜかコーラだったりと、いま思えばもっと他にやり方があっただろ!と笑える話は枚挙にいとまがない。

そんな、中国との仕事のきっかけとなった濃密な1ヶ月。その記憶の中でも、あの天塔。窓から眺めた景色は正直、写真程度にしか覚えていないけれど、あの時の感覚、感触はいまだにしっかりと覚えている。

【09年に天津で撮った写真】

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