昨日、
いつも通り朝から山登りに出かけた。
しばらく行くと、不意に膝に痛みが走った。
耳納平まで完走できたあの日、実は左膝に若干の違和感があった。
ただ、痛みと言うほどでもなく、時間がたつにつれ違和感も無くなり、すっかり忘れていた。
しかし、左膝と言えば、4月に昏倒した際に痛めた方の膝である。
ここ最近、痛むこともなかったので、完治したものと思っていたが、そうでもなかったらしい。
走ったり、特に下り坂では激しく痛んだ。
ところが、
走るのはどの状況でも痛むが、歩きに関しては、平坦路なら、嘘みたいに平気である。
しばらくは、山登りとランニングを控えれば、問題なさそうだ。
という事で今日は、街歩きである。
まずは、自宅から4km程のところにある水天宮を目指す。
水天宮の裏手に回ると、筑後川河川敷に出る。
瀬ノ下渡し跡
この碑文を読むと、昭和56年に渡し船が設置されたかのように読めるが、無論逆である。
渡しが廃止されて、この碑が建てられた時期をさすものと考えられる。
左 右の森は水天宮だ。
遠くに見えるのは、長門石橋。
この橋の建設により、渡し船が廃止となった。
この河川敷の草っぱらで、40数年前の江島少年は、授業をさぼって寝転がっていたものだ。
タバコでも吸いながら。
もし、
かつての私に会えるとしたら、真っ先にこの河川敷に行き、坊主頭の少年の日の私の頭を、
「こん、バカタレが!」
と、思いっきり引っ叩きたいと思う。
タイムマシンの発明を切に願いたい。
更に進む。
九州新幹線とJRの在来線の鉄橋
久留米城跡
実は、ある目的があって、河川敷を歩いている。
右の建物は久留米大学医学部。
架かっている橋は小森野橋。
奥に見えるのは2000年橋。
そのある目的ってなんだって?
秘密である。
久留米大橋と奥の橋は西鉄電車の鉄橋である。
橋桁越に、耳納連山の稜線が見える。
ここまで、水天宮から3,3kmらしい。
膝が若干痛んできた。
宮の陣橋が見えてきた。
そろそろ、帰ったほうが良さそうだ。
100年公園に上がってきた。
帰りは高良川添いを歩く。
時折膝が痛むこともあり、若干だが不安が残る。
長い距離の山登りとランニングは控える様にしたい。
河川敷を歩いた目的?
教えなーい。