大牟田石炭産業科学館
干潟からの帰り道、ふらっと寄ってみた。
再現された石炭採掘現場では、実際に機械を作動させたり、中々気合いが入っている。
一通り見学した後、一つのパネルに目がいった。
大牟田の近代化遺産群の紹介だ。
殆どが訪ねた所ばかりだが、
「旧三池集治監外塀?見とらん。行くぞ。」
世界文化遺産旧宮原抗
宮原坑自体は以前、このブログにも書いているので省く。
大事なことは、この炭鉱の担い手が、主に囚人だった事である。
旧三池集治監外塀
当然の事ながら、それは宮原坑の直ぐ真裏にあった。
収監人数は2000人。
重罪犯が大半を占め、且つ、九州以外の者をここに収監した。
三池集治監→三池監獄→三池刑務所と、時代と共にその名称を変え、
昭和6年、炭鉱での囚人労働が禁止されると、宮原抗と共に閉庁したとある。
煉瓦で作られた外塀は、高さ約6m。
脱獄防止として、地下に板石を埋設するという念の入れ用だ。
正面玄関前の石垣。
刑務所としての役目を終えた後、昭和10年になると、三池工業学校がここに移転。
現在に至っている。
正門直ぐ横にある慰霊碑。
昭和39年の三川抗炭塵爆発事故で、この学校の定時制生徒4人が犠牲になったと書かれている。
少し校内を見学しよう。
授業をサボって、学校を抜け出す。
かつての江島少年がやっていた悪さも、ここでは先ずもって無理のようだ。
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大牟田市庁舎
昭和11年竣工。
当時の典型的な官庁の建築様式らしい。
国の登録文化財