7月9日
昼過ぎに家を出る。
乗船するのは、17時出港の名門大洋フェリーである。
早々と船内の風呂に入り、あとは自分の部屋に戻り、こうなる。
グビ。
フェリーのレストランじゃ、どうも飲んだ気がしないもんね。
部屋飲みが一番だ。
と言っても、
チビチビとやってはいたが、ネットは通じないし、他にする事もない。
結局、10時前には床に就いた。
だが、横になった途端、それまで気にも留めなかったエンジンの振動が、どうにも気になって寝付けない。
結局、朝まで眠れず。
7月10日
不眠の儘、5時半に下船である。
フアーーー
今頃、眠たくなってきたよ。
カフェイン注入だ。
今回の旅では、この二日目が私にとって最大の試練の日である。
何故なら、早朝の5時半に大阪南港着で始まり、
そして、舞鶴出港は深夜23時50分なのだ。
その間、18時間近く時間を潰さなければならない。
それよりなにより、普段は9時頃には寝てるくせに、24時まで起きていられるのか。
ただでさえ昨日眠れてないのに。
・・・どうする。
取り敢えず、先に進むしかない。
途中の道の駅のパンフレットで、熊川宿と言う宿場町の存在を知った。
熊川宿。
若狭と近江の国境にある宿場町で、交通の要衝として栄えてきた。
得法寺
家康が腰かけたという松があったという。
残念ながら最近枯れてしまったとの由。
右側の小さな松がそれではない。
村役場跡。
旧逸見勘兵衛家
後に伊藤忠商事の二代目社長となった伊藤竹之助の生家。
まだ昼前だ。
時間はうんざりするほど残ってる。
SNS上で、私が舞鶴方面に行く事を知った方から、敦賀でソースかつ丼を食すべしとのアドバイスが。
へえー、
敦賀の名物が、ソースかつ丼とは知らなんだ。
三方五湖を通過。
敦賀市内へ到着。
ここって、凄くない。
駅近くの大通りに面する商業ビルの前の路上に、無料の駐車スペースがあるのだ。
反対側の車線にも同じように車が止められている。
思わず道行く人に、
「ここって、この車も止めていいんですか?」
聞かれた相手は怪訝そうに、
「ええ。」
ひょえーーー。
素晴らしい文化と言うべきである。
んじゃ、遠慮なく。
とにかくソースかつ丼だ。
「お待ちどうさまー。」
この蓋の姿。
胸騒ぎを禁じ得ない。
ドドーーーン
ご、ご飯が見えんぞ。
豚カツ3枚重ねである。
傍若無人のカツを脇にどけて、やっと、控えめなご飯君が顔を出してくれた。
ガツガツガツ
敦賀ソースかつ丼恐るべし。
敦賀は豚カツ天国だったらしい。
これも、敦賀に行ったならと薦められた金ケ崎城に行ってみた。
尊良親王を奉じた新田義貞が入城した城だ。
奥にある供養塔は尊良親王を祀っている。
月見台跡からは、敦賀湾を一望できる。
ここで気がついたが、ここまで登って来て、膝は全く痛みはない。
問題は下りである。
そもそもサンダルで登るのが問題だが、
それは置いといて、下りはまだ少々痛む。
ただし、数日前とは明らかに違う。