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Tシャツとサンダルの候

下関散歩

11月5日


秋の旅も最終日。

江田島から一転、進路を西に取った私は、この神社の前にいる。



赤間神宮




壇ノ浦に沈んだ安徳天皇が祀られている。






境内の脇にはこんなものが。



小泉八雲の小説で有名な耳なし芳一だ。

その傍らには、



平家塚がある。

周辺に写ってはいけない者が写っていないか、よく確認して欲しい。

もっともこの塚は、江戸期に作られたものらしい。

平家の亡霊達が、より所にしているかどうかは知らない。



これから少し、下関の町を歩きたい。



春帆楼

日清講和条約の談判場が再現されている。

調度品その他は、実際に当時使われた物だ。



内閣総理大臣伊藤博文、外務大臣陸奥宗光、それぞれが座った椅子。




李鴻章道

清国側の全権大使李鴻章に危険が及ばないよう、人目を避けて、宿舎と会場(春帆楼)の往復に使った道。

日清戦争直後の、国民感情の沸騰ぶりが窺える。



旧英国領事館

現在はカフェとして使われている。

残念ながらこの日は閉館日。建物内には入れず。



明治39年竣工





歩道橋から次の目的地が見えてきた。




旧秋田商会 大正4年竣工。

現在は観光情報センターとなっているが、例によってここも休みである。



南部町郵便局




明治33年竣工





旧逓信省下関郵便局電話科庁舎

現在田中絹代ぶんか館となっている。

休館である。



旧宮崎商館 明治40年竣工

現在は内科クリニックである。

マイナカードは持っている。

仮病を使えば中を見られたのだが・・・



散歩の最後はここだ。



唐戸市場




同区画の卸売業者がビッシリと立ち並ぶ。







思ったより人出は少ない。


下関と言えばふぐだ。


「これ頂戴。」

「毎度あり-」


とらふぐ刺身1200円?

買った!


ウヒヒ。

今日の晩酌はこれで、キュイっと。



最後に立ち寄ったのがここ。



長州藩前田砲台跡。

4カ国艦隊と交戦し、木っ端微塵に粉砕された砲台跡である。



源平の最終決戦の場でもある。



安徳帝御入水之処

当時、この海峡に住む住民は、付近の高台から、まるで相撲観戦でもするかのように、源平合戦の様子を見ていたという。

『赤勝て白勝て』と応援の声もあったに違いない。

そしてこの近さである。

二位の尼が幼い天皇を抱きかかえて水面に飛び込む瞬間、その表情まで見えたのではなかろうか。





そんじゃ、帰ろうか。


走行距離194km 累積走行距離1084km


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