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Tシャツとサンダルの候

軍都を行く その2


続き


南町を歩いている。

戦前、この辺りは旧陸軍の練兵場だった。

戦後復員した祖父は、開拓民の一人として、練兵場跡地に土地を与えられた。

荒れた原野を苦労を重ねて開墾し、農地に変えた話は、勲章の話以上に、それこそ耳にタコが出来る程聞かされた。

現在の南町は、久留米でも有数の住宅密集地となっている。

そんな住宅街を歩いていると、明治天皇聖跡とマップに出てきた。




この辺りは、鼻たれ小僧の頃の遊び場、言わば縄張りである。

なのに、この歳になるまで、そんな話は聞いた事もない。

マップを信じて行くと、



確かにあった。

但し、四方を住宅に囲まれていて、殆ど外部の人間の眼に触れる事は無い。

眼に触れたとしても、そこまで行けない。

そもそも、道が無いのだから。

仕方なく、住宅の隙間から眺めてみた。

確かに明治天皇云々と書かれた石が見える。

大演習の最中、休憩所にでもなったのだろうか?


それにしても、


役所がここを管理するには、誰かの庭先を通るしかない。

どうしているのだろう?



学園通りと呼ばれる通りまで出てきた。

画像は、可愛らしかった江島少年が通った南小学校である。

当時はまだ、旧兵舎が校舎として使われていた。

必然的に、学校の怪談の類は、非業の死を遂げた兵隊に纏わるものばかりだった。

さすがに、鉄筋コンクリートになった現在では、あの怪談話は消滅したに違いない。



ここから十二軒屋までの2km程の左側区画は、全てかつての陸軍施設である。



騎兵連隊跡。







何故か内陸部の久留米に、三池税関支署がある。

その直ぐ先には、



輜重兵連隊跡がある。




忠馬の碑。

何とも優しい顔立ちである。



昭和八年建立




久留米商業。




独立山砲第三連隊の跡。


祖父が入隊したのは、ここではなかろうか?

こんな事なら、生きているうちに、もう少し詳しく聞いとけばよかった。



若かりし頃の爺さんの青春(そう呼ぶにはあまりにも過酷だが)は、ここにあったのかもしれない。




久留米商業を回り込むように進む。




軍都久留米には、陸軍予備士官学校が二校置かれている。

こちらは第二陸軍予備士官学校裏門である。




最後は、南町から城南町まで縦断である。



小頭町公園。




久留米大空襲による戦没者の慰霊碑。




久留米市役所通過。




早くも久留米つつじが芽吹いている。




我が母校明善高校到着。

ここが、今回の街歩きの終着点だ。



最近、新校舎に建て替わった。

サッパリと趣がなくなり、歴史ある門柱や煉瓦塀との不釣り合いさが、どうにもこうにも・・・

である。


明治44年久留米大演習の大本営は、ここに置かれた。

明治天皇の行在所も、この門の奥にある。



残念ながら中には入れないが、同窓会館として、今も現役である。




フ―

足にマメが出来たよ。

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