ここに一枚の古い地図がある。
久留米付近図
昭和初期の久留米市主要施設を示した地図である。
軍都と呼ばれた久留米。
ざっと見ただけでも、陸軍関連施設が目立つ。
久留米の旧陸軍史跡は、大体見ているが、
地図の右下隅ある、
【㉕衛戌病院、㉖第二十四旅団司令部、㉚久留米俘虜収容所】
ここはまだ確認できていない。
たまには町歩きもいい。
散歩がてら、ちょっと捜しに行ってみよう。
テクテクテク
辿り着いたのは、かつての国立病院、現在の久留米大学医療センター駐車場である。
この付近一帯が、ドイツ兵俘虜収容所だった筈だが・・・
↑当時の写真。
駐車場の隅々まで捜したが、収容所があった痕跡はないようだ。
地図を見ると、収容所の敷地は、駐車場の西側住宅地まで、またがっているように見える。
もしそうなら、尚のこと確認のしようも無い。
久留米大学医療センター
病棟の裏側へ回ってみた。
↑当時の久留米衛戌病院(旧陸軍病院)。
写真に似た門が国立病院時代には、あったような・・・無かったような。
ただでさえ頼りなくなった私の脳ミソである。
今となっては、どうにも思い出せない。
あの地図からすると、病院敷地東北角のこの辺り一帯が、旧陸軍第二十四旅団司令部と思われる。
道路を挟んで向かい側には、陸上自衛隊久留米駐屯地の広大な敷地が広がる。
かつての第48歩兵聯隊と第56歩兵聯隊の跡である
帰りはいつもの高良川河川敷を行く。
あ、モズやん。
セグロセキレイも。
今回歩いた三つの施設跡地には、当時を彷彿させる物は微塵も無かった。
数度の建て替えがあったにせよ、もう少し、やりようは無かったのだろうか。
因みに、
地図によると、私が住む地域は、兵器支廠、要するに師団の火薬庫である。
確かに少し前までは、それらしき頑丈そうな建物が残っていた。
今なお地中深くに旧陸軍の秘密通路が残っていて、そこに無数の砲弾・・・
私の妄想は止まらない。